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第4話
「三峯はいい奴だけど、彼の仕事の性質上、あまり深入りはしない方がいいね」
「わかってます。深入りなんてする気もありません!」
会社から帰ってきた秋廣の着替えを手伝いながら、瑠佳は前のめりに否定した。目を丸くした秋廣が、ネクタイを外しながら笑い出す。
「どうして瑠佳はそこまで三峯が嫌いなんだい?」
「悪徳弁護士だからです」
「悪徳弁護士?」
脱いだワイシャツを瑠佳に預け、秋廣は瞬きを繰り返した。
「だって、秋廣様が教えてくれたじゃありませんか。三峯さんは正義を守る弁護士という職業に就きながら、反社会勢力の弁護もしてるって」
「あぁ。そうだったね」
思い出したように目を伏せた秋廣に、部屋着であるブルーストライプのシャツを着せる。
「しかも、あの時任(ときとう)組の……」
「瑠佳」
気遣うように見つめられ、はっと顔を上げた。
「もう大丈夫です。父の死からはだいぶ立ち直ったんで……」
「そうかい? あまり無理はするんじゃないよ。つらい時は僕になんでも話せばいい」
「ありがとうございます」
瑠佳は微笑んだ。やっぱり秋廣は優しい。
四年前に亡くなった父親は、病死や事故死ではなく自死だった。全焼した店舗兼自宅から焼死体で見つかったのだ。
消防や警察からは、油を入れた鍋を火にかけたまま睡眠薬を大量に服用し、熱せられた油が発火。結果父親は焼死したと聞かされた。
「そんなはずはありません! 父はいつも明るく前向きでした。睡眠薬だって、遅くまで仕事をしていると気が立って眠れないと飲んでいただけで、慢性的な不眠症を抱えていたわけじゃありません!」
父親の死後、岸田邸に身を寄せていた瑠佳のもとに、警察が説明にやってきた。
「だけどお父さんは、友人の連帯保証人になって多額の借金があったでしょう?」
反論できなかった。
確かに父親には借金があった。
だから瑠佳も大学卒業まで入所できるオメガ保護施設……ルフュージュを途中で出所し、父親の店を手伝ったのだ。少しでも人件費が減らせるように。
警察は父親に多額の借金があったこと、また周囲の証言から厳しい取り立てにあっていたこと、現場に不審な点がないことから、自殺と断定した。
しかし瑠佳は、今でも父親が自殺したとは考えていない。
なぜなら、父親は言っていたのだ。何も心配はいらないと。少額でも月々返済しているから問題はないと……。
そう言って笑っていた明るい顔が今でも忘れられない。
けれど、自殺でないのなら一体誰が父親を殺したのだろう?
一番最初に思いついたのは、父親が借金をしていたヤミ金の運営母体、時任組だ。
秋廣が興信所を使って調べてくれたところ、時任組は関東一円に勢力を持つ御堂(みどう)会東郷(とうごう)組傘下で、違法薬物の売買以外あらゆる悪事に手を染めているという。借金の取り立てのみならず、返済の遅い父親に痺れを切らし、自殺に見せかけて殺したのではないかと疑っていた。
そして二番目に思いついたのが、三峯だ。
これは彼と『運命の番』である瑠佳にしかわからないことなのだが、父親が亡くなったあの晩、家の客間には三峯の残り香があった。
自分を誘う魅惑的な香り。
野性的で少し埃っぽい麝香の甘さが混ざる、性フェロモン。
なぜ父親となんの面識もない三峯の香りが、事故当日我が家の客間にあったのか……?
瑠佳はこの答えを未だに三峯に訊けずにいる。秋廣にだって相談していない。真実を知るのが怖かったからだ。
『運命の番』とは、発情期に関係なくアルファとオメガが互いの性フェロモンに惹かれ合い、一瞬で運命を感じ、必ず相思相愛になることをいう。これはとても稀なケースで、巷では都市伝説だといわれている。
瑠佳も三峯と会うまではそう思っていた。互いの香りだけで運命を感じるなんて、おとぎ話の世界だけだと。
しかし十年前。岸田邸で開かれた花見の会で、当時大学生だった三峯と出会った。
彼の香りに、瑠佳は一瞬で運命を感じた。
――あ、僕はこの人と番になる。
三峯も同じことを感じたのだろう。大きく目を見開くと瑠佳を見つめた。まるで雷に打たれたような顔をしていた。
言葉にしなくても、互いの気持ちが手に取るようにわかった。
あの瞬間を思い出して、瑠佳は着替えを手伝う手が止まる。
あんな神秘的な経験は後にも先にもない。
確かにあの時、自分も三峯も運命を感じていた。
それなのに、彼は暴力団の弁護を生業とするような人間になってしまった。
――あの人は人間のクズだ。
きゅっと唇を噛むと瑠佳はさらに俯く。
三峯が時任組の弁護士をしていると聞かされた時、頭を殴られたようなショックを受けた。秋廣も残念そうな顔をしていた。でも瑠佳は精一杯の笑顔で言った。
「たとえ三峯さんが時任組の弁護士であっても、秋廣様の親友であることに変わりありません。どうぞ僕のことは気にせず、これまで通り仲良くなさってください」
瑠佳の気持ちを知ってか知らずか、三峯は三日とあげずに秋廣のもとを訪れる。暇な男だと思う。夕食を食べていくこともしょっちゅうだ。
着替えが終わった秋廣に一礼し、部屋を出た。
すっかり日も落ち、白いLEDに照らされた廊下を歩く。
秋廣には、自分たちが『運命の番』であることは言っていない。三峯も話していない様子だった。『運命の番』であることは、口外しないのが暗黙のルールとなっている。裏を返せば二人だけの秘密。だから三峯も、二人の時しか性フェロモンの話はしない。瑠佳の香りが好きだということも。
必死に封じ込めていた不安が、喉元までせり上がってくる。嘔吐きにも似た感覚が瑠佳を襲った。
『運命の番』が、最愛の父親の死に関わっていたらどうしよう。いや、殺した犯人だったら……?
あの日感じた三峯の残り香が、いつまでも脳裏から離れない。今でも鼻腔の奥にこびりついている。
瑠佳は手にしていた秋廣のシャツを抱き締めた。
顔を埋めて胸いっぱいに息を吸い込む。
柔軟剤に混じった秋廣の温かい香りが心まで満たした。
「大丈夫……大丈夫」
深呼吸しながら自分に言い聞かせる。少しずつ不安が遠のいていく。
そもそも『運命の番』であっても、瑠佳は三峯と結ばれることを望んではいない。自分は秋廣と将来を誓い合っている。だから一生をともにするのは三峯ではなく秋廣だ。
そう思うのに、理性と本能はちぐはぐに空回る。
心が求めるのは、安らぎを与えてくれる秋廣。
しかし身体が求めるのは、強烈なまでに雄を感じさせる三峯。
瑠佳は目を開けると真っ直ぐ前を見た。
何も悩むことはない。
『運命の番』なんて生理現象のようなものだ。空腹を耐えるように、三峯への感情なんか抑えつけてしまえばいい。
長い廊下を見つめながら呟いた。
「僕が好きなのは秋廣様だけ。三峯さんのことなんか愛してない……」
確かな足取りで歩き出す。
自分の感情がぶれないように。
父親を殺したかもしれない悪徳弁護士を、好きにならないように。
止まない雨音を耳にしながら、瑠佳は仕事に戻った。
無駄なことを考えないよう、この後秋廣のためにケーキを五つも焼いた。
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