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嫌な予感を振り払うように、
アイツの母親は、とても綺麗な人だ。オレ達が中学生になってからは本格的に仕事に打ち込むようになって、あまり会わなくなったけれど、幼稚園の時や小学生の時、彼女はオレ達をいつもやさしく、あたたかな目で見守ってくれていた。
仕事熱心で綺麗な女性。
多分、幼馴染の母親に憧れる人は多いと思う。
でも、今、彼女にその面影はなかった。
いつもきっちりケアされている肩までの髪は、まるで嵐の中を走って来たかのようにボサボサに乱れていて。強い意志を感じられる目は虚ろで、動揺しきって忙しなくあちこちに動いている。
頬もすっかりこけていた。元からスリムな人だけれど、目に見えて「げっそり」と。これは「痩せた」なんていう、生易しいものじゃない。動揺しきっている目が心なしか落ち窪んで見えるのは、そのせいもあるのかも。
彼女がオレの名前を呼んだ。凄く震えていて、凄く頼りなさそうで。オレの名前が発せられた唇も、まるで乾ききった砂漠みたいにカサカサで、ひび割れていた。
嫌な予感がする。嫌な予感がする。嫌な予感がする!!!
オレが会わない間に、彼女はこんなにもやつれてしまったのだろうか。それならアイツがオレに教えてくれる筈だ。「どうしたら良い?」そう相談してくれる筈。
嫌な予感がする。
「幼馴染の母親はいつからか変わってしまった」というのが、そんな嫌な予感を振り払うための現実逃避だって、オレはどこかで分かっていた。きっと彼女は昨日まで、オレもよく知る仕事熱心で子供想いで、綺麗な女性だった、と。
それなら、人間は1日でこんなにも変わってしまえるものなのだろうか。もし変わってしまえるものだと言うのなら、彼女に何があったと言うのだろうか。
聞きたくない。知りたくない。けれど、知らなきゃいけない気がした。
幼馴染の母親が、1日でこうも変貌してしまった理由を。いくらチャイムを押しても、アイツが姿を見せなかった理由を。
「あのね、あの子が、あの子がね……ッ」
聞かないといけないと思った。思っていた筈だった。
でもアイツの母親が震えた声でそう呟いた時、オレは思わず駆け出していた。「お邪魔します」なんて言わないで、脱ぎ捨てた靴を揃えている余裕も無くて。勝手知ったる幼馴染の家とは言っても他人様の家、必要最低限の礼儀は守るべきだなんていう常識は、とっくにオレの中から抜け落ちていた。
嫌な予感がするんだ。アイツの顔を見ないと消えない気がした。それでもオレは、少しでも嫌な予感を振り払うように、アイツの部屋に向かって走る。階段をドタドタと昇って、背中から聞こえた「駄目よ!!」という、制止も無視して。
それで、息を整える暇もなく。
ただ、そう、アイツがベッドの上で「朝っぱらから騒がしいんだよ」「おい、入ってくるなよ。感染するぞ? オレ、今結構、熱高いんだから」なんて、呆れたように笑っていてくれれば。
そう祈りながら。願いながら。オレはアイツの部屋の扉を開けた。
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