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29.冷えた吸い殻

 沈んでいた意識が浮上していき、奏太は薄く目を開いた。見慣れない天井が見え、ここがホテルだということを思い出す。ようやく、逃れられない悪夢からようやく解放されたことを知った。 (またこの夢か……)  奏太の祖母は、母になると言った言葉通り、父の働く都会へと越してきて、奏太を育てた。そして去年、脳卒中で突然逝ってしまった。あまりに唐突のことで、まだ心の整理もつかない中、今度は消えたはずの母親が現れたのだ。それが祖母が他界するのを待っていたかのように見えて、奏太には腹立たしかった。  幼い頃の母が恋しかった自分は成長とともに消え、すでに過去の人になっていた。それが今更現れたことで、真っ先に感じたのは母に対する怒りだった。  奏太が出会い系にハマったのも、こんな夢を見るようになったのも、去年からだ。その原因が祖母が死んだせいか、母と再会したせいか、あるいはなんの関係もないのか、奏太にはわからない。  どちらにせよ、自分がゆっくりと狂っていくのを肌で感じるようで気味が悪かった。  忌々しい気持ちを吐き出すように深いため息をついて、身を起こす。眠りに落ちる直前に聞こえていたシャワーの水音は止まっていて、周りに人の気配もない。時計を見ると一時間ほど眠っていたようだ。白坂は帰ってしまったようだ。  一言の書き置きもなかった。  あまりのあっけなさに、あれほど熱く抱き合ったのは夢だったのではないかとさえ思ってしまう。  冷え切った吸い殻が一本、サイドテーブルの上の灰皿に捨てられていた。それだけが、彼が確かにここにいたという証拠である。  不意にスマホが着信を知らせた。  奏太は裸のままベッドから起き上がると、脱ぎ捨てたボトムからスマホを取り出した。画面には『喋るATM』という表示。……母親だ。 (最悪……。でも、まあ、ちょうどいいか)  奏太はそう思い直すも、重たい気持ちのまま通話ボタンを押した。さっきの夢の中の母と同じ声が聞こえた。 『そうちゃん、元気?』 「元気だけど」  そっけなく答えた奏太はいつもと違って不機嫌を隠そうとしなかった。そんな気力もなかった。  それを感じ取った母は少し戸惑っているようだったが、どうしたの?とは聞いてこなかった。 『じ、実はさ、今度会社でバーベキューがあって……』 「行かない」 『え?』 「行かない」  驚いた彼女の声にも臆せず、短い拒絶を口にした。  母は要件をすべて言わせてもらうこともできず、沈黙するしかなかった。重い沈黙が流れた。  気を紛らわそうと灰皿の中の吸い殻に視線をやった。 「それよりお金ちょうだい。お小遣いなくなったから」  くの字に折れ曲がった吸い殻に手を伸ばし、指でそれを摘み上げる。白坂が吸ったものだと思うと、なぜかそんなゴミすら汚いと思えなかった。  母はまだ沈黙している。  奏太は返事を待つ間、高く掲げた吸い殻を眺め続けた。

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