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二丁目のホテル⑧
ピロートークなど皆無で白坂は息が整うとすぐに浴室へと向かった。そうして情事の残り香を洗い流していく。
――誠……好きだ……
先ほどの奏太の言葉が不意に蘇って落ち着かない気持ちになる。
「何を言ってんだよ、あいつ」
吐き捨てるように呟くと、愛の言葉も下水に流した。何もなかったことにしよう。そう決意して、風呂場を出るとさっさと荷物をまとめた。
見ると奏太はまだベッドで横になっているようだった。
「じゃあな」
一方的な白坂の別れの言葉。返事はない。
いつもならそんなこと気にならないのに、なぜかその時は帰る足を止めてしまった。白坂は踵を返して、奏太の元に向かった。
ベッドに横たわる顔を覗き込むと、奏太は泣いていた。目を真っ赤にして涙の筋がいくつもほおを横切っていた。
驚いて目を見開く彼に声を掛ける。
「大丈夫か?」
奏太はバツが悪そうな顔で起き上がった。ティッシュを渡してやるとそれを乱暴に取って涙を拭う。
「……帰ったのかと思った」
「返事ねぇから」
「いつもそんなの関係なく帰るだろ。俺のことなんてどうでもいいじゃん」
ティッシュを両目に押し当てたまま、震える声で奏太は続けた。
「シラマにとって俺は……身体だけの男でしょ……」
それがずっと彼が言い淀んでいた言葉だったのか。
白坂はベッドに腰掛けると、目を抑える両腕を取り払った。そして見開かれる真っ赤な目に向かって鋭い言葉を投げかけた。
「お前は俺に何を求めてんだよ」
奏太は怯えたような目でこちらを見つめている。潤んだ瞳から大粒の涙がまた落ちた。泣かせてしまったという罪悪感を押さえつけ、低く彼に告げた。
「……付き合えないぞ」
「わかってるよ……。わかってるけどさ……」
奏太は聞き分けの悪い子供のように首を横に振ってまた泣き出した。
震える声で自分の感情を露わにさせる。
「今日、本当に最悪だった。薬飲まされて、気づいたら縛られてるし、シラマは知らないおっさんと揉み合ってるし……。すごい怖かったし、シラマにハメられたって知って悲しかった。でも……それまでは、すごく楽しかったんだ……。シラマはそっけなかったけど、でも一緒にご飯食べたり、歩いたりしてすごく楽しかった」
残酷なことを平気ですると思ったら、こんな目にあったのに楽しかったと言える彼の純粋さに白坂さは戸惑ってしまう。
いつの間にか彼の涙は止まっていた。濡れた目を向けて、笑顔さえ浮かべていた。
「今まで生きてきた中で一番楽しかった」
子供っぽくて陳腐な感想。
でもそれが彼の精一杯の思いなのだろうと気づくと、茶化す気にもなれなかった。
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