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二丁目のホテル⑨

 奏太はそっと白坂の手を握った。その手は鉄のようにひんやりと冷たかった。 「シラマ……俺ともう一度デートしてよ」 「お前、俺が結婚してるの知ってるだろ」 「……知ってる」  そう言ってやると奏太は露骨に嫌な顔をした。水を差されたとでも思っているのだろう。しかしそれは目を背けたところで変えられない現実だ。 「お前、さっき外歩いてる時、手を繋いでるゲイのカップル見て羨ましいって思っただろ」 「……」 「俺のことを好きな間は絶対に叶わないぞ」  白坂は握られていた手を解いた。拗ねた顔で俯く彼に言い聞かせる。 「あんな風に誰かと手を繋ぎたいなら、こういう間違ったことはもうやめろ」 「間違ってるのはシラマの方だろ!」  唐突に奏太は声を張り上げた。その鋭さに白坂は息を詰まらせた。 「なんで男が好きなくせに結婚してるんだよ」  彼の言葉は深く白坂の胸を貫いた。  とっさに反論の言葉が出てこない。頭が真っ白になっているところに、奏太はさらに言葉を重ねてくる。 「やろうって言ったら、なんだかんだ言い訳しながらもいつも応えてくれるだろ。俺とのエッチが気持ちいいくせになんでもないふりしてさ。全部わかってるんだよ!」 「それはお前が……」 「シラマは俺とのエッチが好きなんだよ! いい加減認めろよ!」  奏太は叫びながら、乱暴にベッドを叩いた。何度も拳をベッドに打ち付ける。悔しそうに何度も何度も拳を振り下ろした。マットレスの弾く音と、舞い上がる埃を白坂は黙って見守った。  やがて気が済んだのか、奏太は手を止めた。そして肩で息をしながら暗い目を白坂に向けた。 「俺は奥さんと別れてくれとか言わない。エッチも好きなだけしてあげる。わけわかんないおっさんに縛られたことも忘れてあげる。……俺はただ、もう一回デートしてって言ってるだけじゃん。それってそんなにいけないことなの」  重い沈黙が二人の間に横たわった。奏太はじっとこちらを見て答えを待っている。  どんなに感情で訴えられたところで、白坂の導く答えは変わらない。 「……俺のことはもう忘れろ」  白坂は踵を返すと今度こそ部屋を出た。彼がどんな顔をしているのか、怖くて見る気がしなかった。  部屋の扉を閉めた途端、中から何かが割れるような音がした。驚いて扉のノブに手をかけたところでやめた。  その扉を再び開けたところで、白坂にできることは何もない。 「……野田」  自分だけに聞こえるほどの小さな呟きとともに、その扉にそっと手を這わせた。  奏太の言ったことは正論だ。彼の悲痛な思いに応えたかった。  デートぐらいしてあげてもよかった。  しかし、もしもう一度彼と向き合ってしまったら、自覚せざるを得ない。  ――彼に惹かれつつある自分を。  こんなに身体の相性がいい男はいなかったし、こんなにまっすぐ好意を伝えてくる男も初めてだった。白坂の男性との恋愛経験はほろ苦いものばかりだった。  だから不毛な同性の恋愛に見切りをつけて、女性と結婚したのだ。  自分の選んだ道が間違っていたとして、引き返すにはあまりに代償が大きすぎる。  部屋から聞こえてくる暴れる物音が止むまで、白坂は祈るような気持ちで立ち尽くしていた。

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