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第3話
受付で手続きをして寮監に挨拶をすると、あっという間に部屋まで辿り着くことが出来た。
朝家を出てきたが、アクシデントがありここに着くのが大幅に遅れた。本来なら昼過ぎには着いているはずだったが、今はもう夕方に近い。
この時間なら同室者もいるだろうかと、優依はチャイムを鳴らした。
数秒も待たず、扉が賑々しく開いた。
同室者は同い年の望月旭。
彼は扉を開いたと同時、優依を見てぱぁっと顔を輝かせた。
「うぉぉ、美人さんだぁ! オレすっげぇラッキー! 入って入って。転校生でしょ? オレ、同室の望月旭。よろしくね。旭って呼んでよ。ずっと一人だったからどんなのが来るのかすごい不安だったけど、こんな美人さんで安心したよー」
人懐きする笑みを浮かべた彼は、優依を招き入れながらも立て板に水のごとく喋る。
優依は質問も相槌も挟む間もなく、ただ旭の後に続いて中に入った。
怒濤の勢いの旭に気圧され、直前まで渦巻いていた怒りが急速に萎えていった。
リビングに行きつくと旭は振り返って破顔した。
「ようこそ!」
弾けんばかりの笑顔は、ひどく好感が持てる良い笑顔だった。
「獅堂優依だ。よろしく、旭」
わずかに呆れを含めながらも、優依は笑って自己紹介した。旭はそれにくぅーっと奇妙な声を上げながら、噛み締めるように拳を握った。
「よろしく! 優依って呼んでもいい?」
ぱっと表情を輝かせた旭に優依は頷きながら、どこか小動物を思わせる彼が面白くて仕方がなかった。
上背がなくまだまだ発展途中の身体は薄く華奢だ。しかし話す度に揺れる身体は、どこか愛嬌があって可愛らしい。特別人目を惹くような容姿ではないが、旭は随分と愛らしい存在だった。
「わからないことがあったら、何でも聞いてよ」
にこにこと感情豊かな笑顔に、優依はとりあえずとまず最初の質問をした。
出会った時からずっと気になっていたのだ。
「平山諒一とは血縁関係か何かか?」
テンションやイントネーションの違いはあるが、リアクションが同じすぎる。そもそも第一声が同じと言うのが、血の濃さを感じさせる。
「あ、諒ちゃんに会った? いい人だろー? 遊びに行くとお菓子くれるんだぜー」
幸せそうに笑う旭を見て、優依はとりあえず血縁関係者ではないのだなと理解した。
が。
(お菓子って……子供か……)
今時そんな手段で子供を呼び寄せる者もいなければ、そんなもので釣られる子供もいない。
軽く息を吐いた優依に、しかし旭は頓着せずにこにことしている。
「諒ちゃんに会ったんなら聞いた? この学校のこと」
カウチに腰を下ろした優依の対面に座った旭が、ローテーブルを挟んで身を乗り出す。
まず初めに平山諒一に会ったのなら、あの手法は通過儀礼なのだと言う。だから優依が懸念した通り、それで怯える生徒は大勢いるようだ。本人が若干愉快犯的に行動をしているので、諒一を怖がる生徒も多い。
だが同時に、あの軽薄さと柔らかなイントネーションに騙される生徒も多いと言う。
旭は完全に後者の典型だった。
彼は諒一のところへ遊びに行った話を嬉々として披露した後で、この高校の大まかなことを教えてくれた。
旭の説明は大雑把ながらも明瞭でわかりやすかった。
校舎を挟んで西側が男子寮、東側が女子寮。男子寮女子寮共に往き来は原則禁止であり、担任、生徒会、寮監の認可があって初めて許される。
ここの生徒会は男女五人で運営されている。生徒会役員は会長、副会長、書記、会計、庶務の五人だが、これに広報を入れて実質六人として動かされている。
そしてこの六人が、この高校ではまさに偶像的な扱いを受けている。
高校の男女比率はほぼ半数だが、全校生徒の八、九割方は生徒会に熱を上げている。
男女問わず人気が高いのが会長副会長の両名。この二人で高校の人気を二分していると言っても過言ではない。
今日行われた新学期の挨拶には六人全員が揃い、体育館はある種異様な熱に浮かされていた。
大袈裟だが真摯に語る旭の説明を受けながら、優依は自分の顔から表情が落ちていくのがわかった。
旭のおかげで先の不愉快極まりない出来事を忘れることが出来たが、旭のせいで再び思い出したのだ。
始業式などという詰まらないものに出席する気はなかった優依は、転校初日を九月一日にした。始業式が始まる頃合いを見計らって、入寮する予定だったのだ。
両親が乗る飛行機が遅延するトラブルがなければ、予定通り始業式が終わった頃教室に顔出して軽く挨拶して終るはずだった。
そうすれば、少なくとも今この不愉快な気分を味わわずにすんだかもしれない。
詮ないことを考え、雰囲気を変えた優依に気付いた旭に大丈夫だと笑って見せる。
気分を良くした旭が調子に乗って話が止まらなくなったが、やがて優依はそれを無言のプレッシャーで黙らせることに成功した。
翌日旭と揃って部屋を出た優依は、転校生を見る目とはどこか違う視線を四方から感じて眉をしかめた。何かを含んだような視線が優依にまとわりつき、それにはさすがの旭すら気付いて首を捻った。
二人の疑問は、優依が転校生として教室で紹介された後で解決した。
担任がはけた直後、隣の席の男子が嬉々として話しかけてきたのだ。
「俺、五十嵐柊平。よろしくな!」
短く切った黒髪に快活な笑顔を浮かべた彼はそう名乗ると、優依の前に座っていた旭にも軽く手を上げて挨拶した。
旭は優依の袖を引きながら、隣の部屋だから、とゆるく笑う。
「よろしく……」
隣人さんとは仲良くして損はないものである。
挨拶して優依が二の句を次ごうとしたが、柊平の前のめりの勢いに思わず口を閉じた。
「獅堂! 聞きたいことがあるんだけど、」
「なに?」
真剣な様子に顎を引いてみれば、周囲は優依の様子を固唾を飲んで見守っているようだった。
本来ならあるべきはずの喧騒がない。視線こそ向けられていないが、全身で優依の言葉を拾おうとクラス中が神経を集中させていた。
「生徒会長とどうぃ……!」
「あー! 柊平!」
柊平が口を開いた瞬間、顔色を変えた優依に慌てて旭が叫んだ。
「なんっ……!」
大声に驚いた柊平が抗議しようとするが、直後立ち上がった旭はそれすら許さず彼の口を無理矢理両手でふさいだ。
青くなって若干涙目の旭と、驚愕で目を白黒させた柊平の視線が合う。
昨日旭は些か調子に乗って喋りすぎた。優依が黙って話しを聞いてくれていたからだ。
しかし徐々に気付いたのだ。旭が『生徒会長』の名前を出す度、優依の綺麗な顔から感情が消えていくことに。
優依が話の腰を折ることはなかったが、無言の圧力に旭はとうとう黙り込んだ。沈黙に耐えきれなくておずおずと謝ると、優依はそれはそれは美しく微笑んだのだ。
『今後俺の前でそれの話をしたら、顔の形が変わると思ってくれ』
笑顔そのものはぽーっと見惚れるようなものだったが、内容が旭を戦慄させた。
こうして頭の許容が多くない旭に、消えることがない地雷ワードとして『生徒会長弥勒比呂』は登録された。
それを今柊平は口にした。
さっと表情が凍りついた優依を、旭は見逃さなかった。
生徒会長と優依の間に何があったかは知らないが、綺麗な顔から表情が失われる様子は心に痛い。
無言で首を左右に振って柊平を押し止めるが、旭のそれを止めたのは意外にも優依自身だった。
「いいよ、旭。俺はそれをとりあえず聞いとく必要がある」
穏やかな笑みを浮かべた優依は、だがしかしその声に絶対零度の冷たさを孕ませていた。
気圧されたように旭が手を放し、その側で柊平がごくりと喉を鳴らした。
「五十嵐? 俺に何が聞きたい? 説明してくれるか?」
朝の不可解な視線の理由は、間違いなくここにある。
優依の穏やかだが有無を言わさない台詞に、柊平はゆっくりと深呼吸した後で口を開いた。
「今朝の号外新聞で、会長が転校生に公衆の面前で告白したって……だから、会長とどういう関係、かなぁ、って……」
新聞部が号外として打ち出した新聞には、昨日の一部始終が載せられていた。相手が相手なだけに、それは『号外』として出すに相応しいものだった。
柊平が話すにつれ、優依の顔が綺麗なだけの人形になっていくようだった。優依の表情が凍ると、教室中の温度が下がっていくような錯覚すら覚える。
一気に温度が下がってしまった教室の中で、やがて優依はふわりと微笑んだ。
春の訪れを告げるような、雪融けを期待させるような、そんな暖かい笑顔だった。強張っていた教室の雰囲気が、春の訪れに一気に緩む。
「俺はあれと関係なんか微塵もない」
笑顔できっぱりと告げた優依に、一堂が再び凍りつく。それを気にせず、優依は拍車をかけるように口を開く。
「あると思われる方が不愉快だ」
全員に聞こえるようはっきりと言葉を吐いた優依に、何人かがガクガクと頭を上下に振った。
どうやら、必要以上に怯えさせてしまったようだ。前に座るの旭など半泣きになっている。
本人の自覚は極めて薄いが、表情が欠落すると優依はひどく恐ろしく相手に映る。なまじ顔の造りが良いものだから、すっと表情が消える様はぞっと背筋が冷えるのだ。
初日から失敗したな、とほどを噛んだ優依は、席を立ち教壇へ向かう。
不意に動いた優依に一堂がぎょっとするが、教壇の前に立った転校生に視線を送る。
優依はぐるりと教室を見渡して、申し訳なさそうに柳眉を下げた。
「悪い、俺のせいで空気を悪くしたな。でも出来れば俺の前であれの名前は出してほしくない。俺はあれと関わる気は全くないから。ちゃんと関わりたいのはこのクラスのみんなで、あれじゃない。……それじゃ、ダメかな?」
水を打ったように静かだった教室が、優依の最後の台詞と共に沸き上がった。
「優依、あれはズルいよ……」
恨みがましく呟いた旭に、優依は器用に片眉を上げた。
「何が?」
「何がじゃないよ、朝のあれだよ! あれはズルいよ!」
ダンっと机を叩いた旭に、隣に立った柊平が賛同するよう頷いた。
「何でだよ」
朝のあれが何を指すのかすぐ理解した優依が柳眉を寄せる。
優依はただ謝罪とお願いをしただけだ。
それを何故狡い呼ばわりされなければならないのか。
本気で首を傾げた優依に、旭と柊平が同時に息を吐いた。
「無自覚さんか……」
「質が悪いぞ、こいつ」
教室中を凍らせるほどの雰囲気を纏っていたくせに、一転してその非を詫び、愁傷にお願いをしてくる。真摯的で耳に障りが良い声でお願いされ、だめ押しのように窺うように小首まで傾げられれば、頭を縦に振るしかない。
あの瞬間、優依はこのクラスを掌握したと言っても過言ではなかった。
他を圧倒するような雰囲気と、有無を言わせない迫力は、本人が触れるな言った役員に良く似かよっていた。
「優依くーん、お昼どうするのー?」
無自覚怖いと項垂れる二人を不可解なものを見る目で見ていた優依に、後方から声がかかる。
あの朝の一件で優依の位置付けは揺るぎないものになった。最初こそ近寄りがたいと敬遠していた女子も、時間を追うごとに優依に馴染んでいった。
もともと女子に話しかけられ邪険に扱うことをしない優依は、午前中だけでクラス中の女子に気軽に話しかけられるようになっていた。
優依は振り返って彼女たちを見て、側の二人を指差して笑う。
「こいつらと食堂に行くよ」
小さく上がった黄色い声と、残念だと言うお弁当組の彼女たちに、優依は今一度口許を緩ませる。
「また今度誘って。ありがと」
ひらひらっと手を振って、優依は旭と柊平について教室を後にする。
廊下に出た途端否応なく突き刺さる視線に、優依の顔が盛大に歪む。舌打ちさえした優依の様変わりに、柊平が嘆息する。
「優依くん、眉間にシワが寄ってるぞ?」
「うるせぇよ」
誰彼かまわず怒鳴り散らすわけにもいかないのだ。顔が不機嫌に歪んだとて、見逃してほしいところだ。
ぞんざいに返すと、旭が優依を見てぽつりと溢した。
「なんかさ、優依、女子に比べてオレたちの扱い雑じゃない?」
女子に対する時は、優依の言葉尻はもっと柔らかく穏やかだ。ところが、旭や柊平、男子に対する時は態度がどこか尊大だ。
旭の疑問に、優依は不思議そうにして頷いた。
「当たり前だろ? 女の子は優しく扱うようにって祖父さんから厳命されてるし」
「いや、だからってさ……」
さらっと肯定されて柊平がたしなめるように口を開くが、優依はさらにそこへ言葉を被せた。
「つまりそれって、男はぞんざいに扱っていいってことだろ?」
「違うよ!?」
「どんな、曲解だよ! じいさんもそんな意味で言ってないと思うぞ?」
とんでもない解釈にすぐさま二人が突っ込むが、優依の基本スタンスは変わることはないようだ。
紳士の国英国で育った優依の中には、たぶんにフェミニストな部分が織り込まれている。そして同時に、荒々しい海賊の気質まで根付いているのだろう。
三人は食堂へと繋がる廊下を行くが、時間が少し遅いためか人通りはほとんどなかった。ちょうど皆が食べ初めている時分なのだろう。席はあるのだろうかと、他愛のない話をしながら向かう。
そこへ突如、後方から鋭い声が三人を襲った。
「クっ……優依!」
足音が聞こえたと思ったら、それはすぐ側まで来ていた。
声の主は優依の名前を呼ぶと同時、腕を取って歩を止めさせた。
自然と旭と柊平の足も止まり、突然現れた生徒会長にびくりと姿勢を正す。
しかし優依だけはひどく冷静に、取られた腕をそのまま相手の鳩尾に叩き付けた。
ぐっと小さく呻いた比呂の手から、優依が無言と無表情でするりと逃げる。
身体をくの字に折って呻いた会長に慌てたのは当然脇にいた二人で、あわあわと優依と比呂を見比べる。
「ゆゆゆ優依さん、これは、あ、あの『名前を言ってはいけないあの人』でね……」
「落ち着け、旭、それはどこのポッター様だ」
目に見えて狼狽える旭を諌める柊平こそ、随分と取り乱しているようだった。
おかしな方向に会話する二人の声は、しかし優依の耳にはまったく入っていなかった。
ただ鳩尾を押さえる相手を見下ろす。
ぞっとするほど冷たい瞳と、悲しい色を宿しながらも暖かみ帯びた瞳がしっかりと絡み合う。
「優依、話を……俺の話を聞いてくれないか?」
真摯で真剣な眼差しで、かつて英雄だった男が懇願する。
心に響いたのは、懇願された優依ではなく狼狽していた二人だった。
会長のこんな姿を見たことがない。
「優依」
柊平が短く呼び掛けると、優依の視線がゆるりと動いた。
秀麗な顔に穿たれた、ガラス玉のように感情が見えない瞳が柊平を見る。
「ちゃんと話してこいよ」
一瞬怒りのような色を優依の中に見た柊平が、慌てて弁解するように言葉を足す。
「お前の主張は聞いたし、俺らにそれをどうこう言う権利はないよ。でもさ、話し合わないと、いつまでも追い回されるんじゃないか?」
会長の様子を見る限り、理不尽な暴力にも引き下がりそうにない。
柊平の主張に旭は隣で彼の裾を握りながら同意とばかりに頷き、優依はそれを受けてゆっくりと息を吐き出した。
「わかった」
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