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第5話

 見せられた薄い紙一枚に踊った文字に、優依は怒りを通り越して呆れた。  朝出会うなり柊平から見せられた号外新聞は、生徒会長が浮気者と言うレッテルを貼り付けていた。  そう言わしめたのは昨日の優依の一言によるものだが、まさか充樹に拾われているとは思わなかった。そして何より、そんな曲解をするなどと夢にも思っていなかった。  ここまで事実無根だと、いっそ清々しい。  柊平は無言でそれを手渡してくれたが、その表情はかすかにひきつっていた。旭など、内容を見るなり可哀想なほど顔を青くさせた。  当事者の優依だけが、飄々としていた。  正直、もうどうでもいいか、と思っているのだ。好きに騒がせておけば、その内収まるだろう。騒がしい生徒会絡みだと思うと煩わしいが、幸いなことにクラスメイトたちは優依の心情を組んでくれている。  初日でしっかり脅して宥めたことが功を奏しているとは、優依は露とも思っていない。良いクラスに配されたと思っているくらいだ。 「ねぇ、優依。怒らないで聞いて欲しいんだけど、」 「あれとは本当に何にも関係なんてないんだよ。これも真実にはかすりもしねぇ」  つんっと袖を引いて窺うような視線を寄越した旭に、優依は先をさらうように言葉を繋いだ。  極力普通の声音になるように心がけたが、新聞をバシっと手の甲で叩くと旭は小柄な身体をすくませた。  柊平は旭のように身体をすくませるようなことはなかったが、優依の言葉にかすかに眉をひそめた。  関係ないと明言するにも関わらず、事実にはかすりもしないと言う。裏を返せば、何か明確な『事実』は存在すると言うことだ。二人の間に何らかの『事実』が存在するならば、関係は間違いなくあるのだ。  無意識に放たれた言葉に、当然優依は気付いていなかった。そしてまた柊平も、それを指摘する無粋なことはしなかった。  優依のあの顔を見るのは、一度で十分だ。  だがそれを知らない者は、平気で不躾な視線を優依に送る。観衆の中での生徒会長の告白劇に加え、優依は美貌の転校生としても今や名高い。すれ違う生徒が思わず振り返ってしまうのは、ある程度仕方のないことだった。  不躾な視線と遠巻きな態度に晒されてようやくたどり着いた教室は、だがしかし外よりもより一層ざわめいていた。  原因は探るまでもなかった。  何故か教室内に、噂の片割れ、いや、優依にしてみれば元凶とさえ思える相手がいた。  突然の高校のトップの登場に、教室は混乱と歓喜を招いていたのだ。  それを視界に入れた瞬間の反応は、旭が一番わかりやすかった。さっと変わった顔色は、瞬時に優依を窺うものに変わった。  それと同時に、比呂が優依に気付いた。 「優依!」  誰かが声を上げるより早く、比呂の足が早足で優依の元に向かう。  顔を上げた優依の目に浮かんだ剣呑な色を、隣にいた柊平はしっかりと確認した。  ヤバイと判断する時間はあったが、脇にいた旭にそれを伝える時間はなかった。咄嗟に旭の腕を引き、自身も保身の為に一歩下がる。  次の瞬間、すぐ側で鈍い音が大きく響いた。  優依の前に立ったかの生徒会長が、頭を押さえてふらりと足場を変える。  一堂が息を飲み、会長に攻撃、頭突きをした優依を見守る。 「何しに来た?」  ひやりと冷たい声だったが、優依のそれに怒気は含まれていなかった。  旭と柊平はそれに気付いてお互い顔を見合せ、比呂は額を押さえたまま優依に紙を差し出す。  それは今朝配られて、おそらくもうこのことを知らぬ者はいないだろう記事が載った号外新聞。  優依はそれを受け取り、それがなんだと首を傾げる。  これは別に、優依が悪いわけではない。悪いのは記事を書いた人物だ。優依の落とした言葉を耳聡く拾って曲解した広報だ。  だが比呂は納得いかない様子で優依に詰め寄り、言葉を吐いた。 「なんで俺が浮気したことになってんだよ!?」  叫んだ比呂の台詞に、旭と柊平が目を瞬いた。 「あ、突っ込むとこそこなんだ……」 「突っ込むとこそこじゃねぇだろ……」  同時に二人から声が漏れるが、比呂までは届かなかった。  二人は優依本人からはっきり比呂とは関係ないと聞いている。それでも優依の言葉尻からある程度の関係を窺わせはするが、関係と言っても、優依の態度からするに色っぽいものではないだろう。  にもかかわらず、真っ先に憤る先は『浮気者』扱いなのか。まずたしなめるべきは、すでに『付き合っている』ことだ。  怒りの矛先が間違っている比呂を、しかし優依は実にどうでもよさそうに視界に入れた。 「別になんだっていいだろ? 俺とあんたに初めから関係なんてないんだから」  表情こそ抜け落ちはしなかったが、優依の声はクラスメイトたちに昨日の朝をありありと思い出させた。  誰かがごくりと息を飲んだ。  優依の言葉に、比呂が傷付いたように瞠目した。 「っ……!」 「話す気がないなら俺の前に二度と姿を見せるな」  比呂が口を開くより早く、ぴしゃりと優依の言葉が投げつけられた。  瞬間比呂の瞳が、すうっと細められた。優依の腕を取り、無言で歩き出す。 「ちょっ……!」  引きずられるように腕を引かれて優依は暴れるが、比呂の手は思いの外がっしりと二の腕を捕らえていた。 「ここで話す内容じゃないだろ?」  暴れる優依の耳元で、比呂がそっと言葉を落とす。  ぞくりと背筋を走った何かとその内容に、優依の抗う手がぴたりと止まる。  呆然とする生徒たちに一瞥もなく、生徒会長は転校生を引きずって行った。  それほど遠くまで連れ出されることはなかった。誰かに聞かれたくない話しではあるが、聞かれたとて理解に苦しむ内容である。ただ話題の二人連れは目立つため、必然と人目のつかないところへ場所を取ることになる。  比呂は優依の腕を掴んだまま、終始無言だった。口を挟むことが出来なかったのは、暇がなかったからではない。無言の背中が非常に重苦しかったからだ。  腕を返され、比呂が振り向く。  意思の強さを秘める、真っ直ぐな瞳が優依を射る。  気圧されるような重圧は、確かに目の前の男が英雄であったことを物語る。  沈黙を破ったのは比呂だった。 「それを知って、お前はどうする?」  予想外の問いかけだった。  世界を壊そうとした理由を問うた優依に突きつけられた、思いもよらない言葉。  意思を確認するような強い視線に、優依の頭が真っ白になった。  その理由を知ったとして、優依に何があるのだろうか。今更優依が世界のために何か出来ることなどない。世界は遠く、祈りさえも届くことはないだろう。  いや、だが。知りたい。  クラリーチェがその命で購った、愛する男の命。その価値を。クラリーチェの命と同等の価値を持つ男が、何故世界を蹂躙したのか。  クラリーチェは、いや、優依には知る権利がある。  そう声を、荒げたかった。  しかしひたと見つめる男の目が真摯すぎて、必死すぎて、途端に声が喉に張り付いた。  心臓が早鐘を打ち、男の目を見つめるのが苦しくなる。 ―――…………  不意に脳裏に浮かんだ言葉に、優依は小さく悲鳴を上げた。両手を上げ自身を庇うように抱きしめようとするが、突如鋭い痛みが頭を襲った。 「っ……!」  呻いた優依の膝が、痛みに耐えかねてカクンと落ちた。 「優依!?」  突然頭を押さえて崩れ落ちた優依を、色をなした比呂が抱き止める。  だが優依は自身が膝をついたことも、誰の腕の中にいるのかも理解していなかった。  ただ頭を万力で締め上げられるような痛みに呻く。 ―――無知は罪じゃない……  キリキリと痛む頭に目の前がチカチカし、額からは冷や汗が噴き出す。 ―――…………が罪なんだ……  ただ耐え呻くしかない痛みを逃がすようにきつく拳を握り、歯を食いしばる。 ―――でも、…………もっと罪だよ、クラリーチェ……  痛みから逃れるように叫んだ優依の身体から、カクリと力が抜けた。  玉の汗を結んで真っ青になった優依を腕に抱き、比呂が小さく唇を噛んだ。

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