朝登校したら生徒会室に足を運ぶのは、役付きの義務だ。教室より早く生徒会室へ向かい、一日のスケジュールを確認する。そのスケジュールを管理するのは、広報門倉充樹の仕事だ。 　充樹は眠い目をパシパシと瞬きさせ、よく出来た顔を不細工に歪めながら生徒会室に足を向ける。 「おはよう、みーくん」 　生徒会室まであとわずかと言うところで後方から可憐な声に挨拶され、充樹は振り返った。 　相手を確認し、充樹は顔に張り付けた眠気を取り払った。 　ふわふわと柔らかそうに揺れる背中まで伸びた薄茶の髪に、二重の大きな瞳。きめ細かい肌を可憐に彩る唇は魅力的に赤く、うっすらと頬を染める姿が愛らしい。 　触ると崩れてしまう砂糖菓子のような彼女は、生徒会書記を務める佐久間鈴花だ。 　そのファン層の大多数を男子生徒で埋める彼女は、だがしかし生徒会内で会長を初めてひーくん呼ばわりした猛者だ。 「おはよう、すーちゃん、今日も可愛いね」 　側まで来た鈴花に、充樹は当たり前のように賛辞を贈る。 　鈴花は毎朝のそれに、吐息のように笑って礼を述べた。 　色付く頬と甘く軽やかな笑い声を持つ彼女は、まるで天界で作られた極上に甘い砂糖細工のようだ。 「天音ちゃんは今日は一緒じゃないの？」 　いつも一緒にいるはずの桐生天音の存在を問うと、鈴花は微笑を浮かべたまま職員室に、と答えた。 「途中まで一緒だったんだけど、天音がファンの子に捕まっちゃったから」 　先に来ちゃったと悪戯っ子のように鈴花は笑う。 　桐生天音は、生徒会長弥勒比呂と人気を二分している副会長である。凜として美しい姿勢に、白皙の美貌を持つ彼女は、鈴花とは対照的な美少女だ。凛々しくも美しい麗人は、鈴花とは違いそのファン層も男女比がほぼ半数である。 「すーちゃんも一緒にいれば良かったのに」 「みんな天音に会いに来たのに、わたしがいたら邪魔でしょ？」 　笑う鈴花の自覚の薄さに、充樹は苦笑する。 　天音のファンは大多数、押し並べて女子層などは、天音と鈴花のツーショットを好む。一人で立っているだけでも絵になるが、二人並ぶとその華やかさは眼福に違いない。 「そもそもなんで職員室に行ったの？」 　本来ならば朝職員室にて生徒会顧問と会うのは、生徒会長の役目である。何故天音が職員室などに寄ったのか。 　問いかけると、鈴花は曖昧に笑った。 「ひーくんが昨日からぼーっとしてるから……」 　何かを思案することはあっても、ぼんやりすることの少ない会長は、昨日からどうにも心許ない。今朝もそれを見咎めた天音に、比呂は早々に生徒会室に追いやられた。 　充樹は昨日新聞部に釘を指しに行っていたので、放課後生徒会室を訪れていない。 　比呂の珍しい様子に、形の良い眉を跳ね上げた。 「おはようー」 　生徒会室前まで来ると、充樹は元気よく扉を開けた。 　しかし中から答はなく、ただ会長席に当の本人が物憂げな表情で座していた。 　影を落とす睫毛に物憂げに伏せられた瞳。すっと通った鼻筋と、薄く形の良い唇からかすかに漏れる吐息。 「……写真撮る？」 　高圧的ではないが、本来存在感ある比呂がこうも憂い帯びてひっそりとしていると、珍しさも手伝って不埒な商売を思い付いてしまう。 　写真部を連れてきて良い写真が撮れれば、飛ぶように売れるに違いない。 　思わず後ろを振り返って鈴花に確認してしまう。 　鈴花は可愛らしく肩を竦めただけで充樹のそれに答えることなく、比呂に近付く。 「おはよう、ひーくん」 　耳朶をしっとりと甘く震わす声音に、比呂の秀麗な顔が動いた。鈴花を今初めて視界に入れたように目を瞬き、たっぷりと時間をかけて挨拶を返した。 「なに、どうしたの？」 　鈴花の後に続きながら、充樹は比呂に首を傾げる。 　上から降ってきた声に、比呂の顔がゆっくり上がった。 　充樹を認めると、柳眉をしっかりとしかめて見せた。 「お前またおかしなことしてないだろうな？」 　地を這うかのような低い比呂の声に、充樹は昨日のことをありありと思い出した。昨日の朝の比呂の形相は、悪鬼か何かかと思うくらい恐ろしかった。 　降参者よろしく両手を小さく挙げて、こくこくと頷く。 「昨日ちゃんと獅堂くんにも謝って来たし……」 　報告すると、ぴくりと比呂の眼が揺れた。それを見つけた充樹は、人相悪い笑みを浮かべた。 「ひーくんのそれは、獅堂くんが原因？」 　動揺はあられもないほど瞳に表れ、比呂は仲間の前でそれを肯定する形となった。 　鈴花が綺麗に澄んだ瞳をきらきらさせながら、比呂と充樹を見つめる。 「獅堂くんって転校生でしょ？　 ひーくんが大声で告白した相手なんだよね？」 　鈴が転がるような軽やかな音で鈴花は笑い、比呂はそれに苦虫を潰したような顔をした。 　間違ってはいないが、違う。あの告白は、ラルス・ライルの告白だ。クラリーチェに向けての、真摯で実直な叫びだ。 「……もしかして、フラれちゃったの？」 　比呂の表情があまりにも悲壮に満ちていて、鈴花が可憐な花の顔を曇らせる。 「すーちゃん、たぶん比呂は好かれてさえいない」 　あの優依の声と台詞を直に聞いた充樹は、言いにくそうに鈴花に真実を告げた。 　鈴花は大きな目を驚愕で更に大きくさせて、痛ましそうに比呂を見る。その瞳には、かの人が負う痛みを思ってうっすらと涙ぐんでいた。 「じゃぁ、ひーくんは今恋患いね……」 　ぽつりと言葉が落ちると同時に、扉が開いた。 「フラレたのに？」 　現れたら涼やかな声に、充樹と鈴花が振り返る。 「天音」 「おはよう、天音ちゃん。朝から会長の代理ご苦労様」 　凜とした立ち姿で部屋に入って来たのは、真っ直ぐと伸びた黒髪が美しい白皙の麗人。キリリと引き締まった凄烈な空気を纏う彼女が、副会長桐生天音である。 　天音は比呂の机に預かった書類を積み、自分の席に優美な所作で腰を落ち着ける。ふと鈴花と天音の視線が合い、お互いに柔らかく微笑み合う。 「フラレてたなら、恋患いはないんじゃない？」 　傷心して悲しみにうちひしがれている、が正しい表現だろうと天音が言う。 「え、じゃぁフラレてないの？」 「すーちゃんはこれがフラレてないように見えるんだ……？」 「まぁ、少なくとも成就されたようには見えないよね」 　当の本人を全く無視し、三人は好きに話を広げる。彼らは四人とも同学年であり、一年の時から生徒会に携わっているのでなかなかに気安い。 「……俺が、優依に惚れているように見えるのか？」 　三人は好きに話を転がし始めるが、唐突にぽつりと比呂が漏らした言葉に一様に黙り込んだ。 　零れた比呂の声は、純粋な疑問と戸惑いに満ちていた。 　三人がさっと顔を見合わせた。 「ひーくん、大声で告白しといて今更その台詞はないよ？」 「比呂の言動には好意しか感じられなかったんだけど……無意識なの？」 「誰からどう見ても惚れてるようにしか見えないよ」 　三人から首肯と共に非難も浴び、比呂は眉間に皺を刻んだ。 　初日のあの告白劇は、ラルス・ライルのものだ。あの後クラリーチェからは、同じ気持ちを返してもらっている。その意味で、フラれてはいない。 　クラリーチェと想いが通じ合ったとわかった時のあの幸福感は、世界を是正した時より素晴らしいものだった。 　だが優依は、ラルスを拒んだ。はっきりとした嫌悪を叩きつけた。その時の胸の痛みを、比呂は知っている。 (そうか、『優依』の拒絶に『俺』が傷付いたのか……) 　魘されるように泣きじゃくる優依に心を痛めたのは、比呂だ。こぼれ落ちる涙を拭って、これ以上彼が傷付かないで欲しいと祈った。 　他愛のない軽口を叩けるのが楽しくて、優依がラルスではなく比呂を知るのが嬉しかった。 　何故口説くのかの問いに戸惑ったのは、それが『誰』の『誰』に対する感情かわからなかったからだ。 「あぁ……そうか……『俺』が『優依』に惚れたのか……」 　口に乗せると、すとんっと胸に違和感なく収まった。 　ならば彼には。 　絶対に話すことは出来ない。 　クラリーチェを至宝のように大切にしている優依には。 ―――知ったら傷付く 　彼は優しいから。