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第9話
転校生獅堂優依の華々しい登場から、一週間が経った。あれ以降、諌められた新聞部は報道を控え、号外と呼ばれるようなものは発行されていない。しかし獅堂優依の名と姿は大々的に知られ、噂は収まりを見せる兆しさえなかった。だが当初当然のようあった、生徒会長と関係のあった優依を遠巻きにする動きはなくなった。その代わりに、今は獅堂優依という美貌の転校生そのものに皆が興味津々だった。
それは当たり前のように、優依のクラスから漏れ出た。
英国紳士の精神を植え付けられた優依の言動は、同世代の女生徒を舞い上がらせるのに充分なものだった。扉の開閉からエスコート、恥をかかせない程度の戒めと素直な賛辞。
臆面もなく気取らない自然な言動は、やがて全学年の女生徒へと広まっていった。
女生徒を淑女のように扱う優依の言動は、男子生徒にとっては面白くないものだ。当然沸くだろう不満は、しかし優依が男子の中にあってあまりにも自然すぎて沸き出さなかった。
がさつに扱うを公言した通り、優依の男子への扱いは女子に比べて酷い。元々口が悪い優依は言葉は辛辣だし、態度も尊大に映る。しかしそれは海賊船の船長さながらで、かえって男子の好意を集めていた。
ここに来て一週間にして、転校生獅堂優依の人気は生徒会を追従する勢いにある。
「そんな訳で獅堂くん、勧誘と言う名の保護にやって来ました」
約一週間ぶりに会う生徒会広報門倉充樹に、優依と旭は歩を止めた。
充樹の提案は、優依を役付きにすることにより他と一線を画すためのものだった。
多すぎる集団と言うものは、時として危険な行動に走りやすい。集団心理で優依に何かあれば、生徒会の責任問題にもなる。
生徒会役員となれば、周囲の見方が変わる。接触の仕方が制限され、優依にある程度の他を排斥する力が生じる。
当然与えられた権力に対しての対価は必要だが、規模が大きくなりすぎたそれは、いつ何時優依に牙を剥くかわからない。
わりと真剣な様子で充樹は説明をしたが、優依は充樹のそれにいささか不可解な顔をした。
「必要ないだろ?」
優依は増えすぎたと言うそれに、今困ってはいない。確かに優依を見に来る者、声をかける者、抱きついて来る者、日々増えてはいるようだが、それに優依は不利益を感じていない。
「優依、あしらうの上手いもんね……」
優依に変わって不可解な表情を刻んだ充樹を見て、旭がぽつりと言葉を落とす。
おおよその時を優依と過ごすことの多い旭は、この一週間隣でずっと見てきた。優依が意に添わない相手を、易々とかわしてあしらう様を。しかも相手はある程度満足して自ら帰って行くのだから、優依の手腕には脱帽するしかない。
この優依ならば、ある程度まとまった集団を前にしても上手くかわしてしまえそうだと思えてしまう。
そして必要ないと明言した通り、優依にはそれだけの自信はあるのだろう。
充樹は旭の言葉に一瞬目を丸くしたが、それでも考えるように形の良い指を唇に当てた。
「でも役付きになったらいくつか特典があるよ?」
一定時間の授業免除をはじめ、各施設の優先使用権、割引率の上昇、食堂の無銭飲食等。
「あと、会長と長時間一緒にいられる」
順に指折り挙げて行き、充樹は最後にとびきり良い笑顔を浮かべた。
「それむしろ最大のデメリットだろ」
即答して嘆息した優依に、充樹は声をたてて笑った。
「秋は色々忙しくなる時期だからね、期間限定でもいいから考えといてよ、獅堂くん」
たぶん悪いようにはならない。比呂と一緒にいる時間が耐え難く苦痛じゃなければ。
艶然とした笑みでそう言った充樹は、心持ち楽しそうな足取りで茫然とする優依と旭の前から去っていった。
「でもね、優依、俺は入ったほうが良いと思うよ、生徒会」
充樹が去ってしばらく、旭は優依に伺うようにそう告げた。
旭は優依が生徒会長弥勒比呂と接触するのを心底嫌がっているのを充分理解している。その名が出る度、誰よりも早く顔色を変えるのは他でもない旭だ。袖を引くような仕草で、優依を心配そうに伺うのも今では珍しくない光景だ。
その旭から出た発言に、優依は怒りより早く驚きに目を瞬いた。
優依の珍しい反応に、旭がふにゃりと力ない笑みを浮かべる。
「集団って怖いんだよ、優依」
生徒会役員に他を排斥する力が与えられているには、その増えすぎたファンを牽制するためのものだ。三人、四人と言う少人数ならば起こらないだろう驚愕の行動が、三倍四倍の人数になると容易に起こり得ることがある。人は集団になると気が大きくなりやすく、催眠にも陥りやすい。
それで事が大きくなったことが、過去にある。
だからこそ、それは与えられている権限だった。
今は不自由していなくても、いつか優依にもそれらを御しきれなくなる時がある。
それほどに、優依の知名度と人気度は上がっているのだ。
「でもそれには対価が必要だろ?」
与えられた権限に対する義務と言うものは、それの大きさに応じて必ず生じる。
生徒を牽制し続けるには、それに見合う何かを優依が支払う必要がある。
嫌そうにそれは何かと問えば、旭は優依が支払うだろう対価を思い浮かべてか、楽しそうに笑った。
「月に一、二回ファンミあるんだよ」
「ファンミ?」
「ファンミーティング。だいたいがお茶会だけど、役員によってはゲームとかスポーツとかもあるんだよ」
役員に著しい接触を制限する代わりに、月に一回か二回役員と近く接する機会を持たせているのだ。鞭に対しての飴は当然必要であるし、そのための時間調整は広報が行っている。誰のファンミーティングが何時何処で行われるかは新聞等で告知され、参加者は広報にて申し込みを行う。
「旭は誰かのに参加したことあるか?」
「俺はね、桐生先輩と佐久間先輩の合同お茶会になら行ったことあるよ!競争率高いからね!ラッキーだった!」
副会長桐生天音と書記佐久間鈴花の二人のファンミーティングは、ほとんどが合同で行われる。二人のファンが集まると、誰のファンよりも規模がでかくなる。規模がでかくなればなるほど、お茶会にての接触の可能性が低くなる。だが大多数の生徒たちは、彼女たち二人を並べて鑑賞するのが大好きだ。
それを見越して、広報がわざわざ二人一緒にセッティングしているのだ。
他にはない体制に、優依は感心と呆れを滲ませた吐息をこぼす。
接触制限の対価とは言え、それに自らが巻き込まれるのは些か気が重い。しかし話を聞くに、あの生徒会長すらも行っているのだがら優依にそれを覆せる道理もない。
旭の心配は最もだし、集団がいつ優依の手に余るかもわからない。面白くないことだが、遠からず優依はそのシステムに与することになるだろう。
優依の諦めにも似た重い溜め息に、旭が飛びっきりの秘め事を明かすように笑顔を向けた。
「でもね、一番大変なのは実は門倉先輩のファンなんだよ」
合同で開催されると、その規模は一番の大きさになると言う副会長・書記のファンミーティングや、人気実力をほぼ不動とする会長のファンミーティングは、参加するでだけでも大変なことだ。時には抽選会さえも行われ、ある種お祭り騒ぎのようにもなる。
ファンミーティングが開催されれば。
生徒会役員のファンミーティングは毎月どこかしらで開催されるが、門倉充樹のファンミーティングだけは開催されない。
それは彼が、『広報』であるからに他ならない。ただ彼も心得たもので、毎月どこかしらで開催されているファンミーティングに随行している。
ただ彼の質が悪いのは、同日同時刻に幾つものファンミーティングを被せてくることだった。だから毎回、彼のファンはどこに充樹が出現するのかヤマを張るのに大忙しだ。
「門倉先輩のファンはね、ウォーリーを捜せ、とかすごい得意なんだよ」
特に自慢にもならない特技だが、かの広報のファンは大変喜ばしい特技であるとか。
うまく転がしている感たっぷりで、優依は乾いた笑みを浮かべた。
充樹と別れ、旭と二人この学園における独特のシステムについて話ながら教室まで戻ってきた。ふと旭と話ながら投げた視線の向こうにはどんよりとした空が広がり、今にも泣き出しそうなそれに気分が沈む。
確か昼からの天気予報は雨だったか。
倒れて比呂の部屋に運ばれて一週間。あれからかの生徒会長が優依の前に現れなかったなどとは、もちろんない。折に触れては優依の前に姿を見せ、優依の逆鱗に触れては去っていった。ただ優依本人の自覚は乏しかったが、接する態度に軟化がみられるようになった。当初会長の登場を戦々恐々と見ていた周囲も、優依の変化にようやく強ばった体から力を抜いたものだ。
周りにもわかるほどの変化は、優依が弥勒比呂と言う人物を認識した故だろう。かつての英雄ラルス・ライルと同一でありながら、弥勒比呂と言う個性を持つ。
それは、優依がクラリーチェ・ファルクとは違う人物であることに通じている。
「ね、優依。お昼どうするの?」
暗い空を見つめていた優依の袖を、旭が窺うようにして引く。
上背の差か、旭の優依に対するそれは最近ではすっかり癖だ。小さいものを愛でたい倶楽部から絶大な人気を誇る旭の袖を引く仕草は大変可愛らしいのだが、質問の内容が可愛くなかった。
途端、優依の柳眉に皺が寄る。
「毎回連れ出されてたまるか」
ここ一週間毎日、お昼になると噂の生徒会長が現れて優依をさらっていくのだ。話題の二人なだけに、今や風物詩と言っても過言ではない。
吐き捨てるような台詞だったが、やはりそこには当初の嫌悪が見られなくて、旭は小さく笑う。
その旭がふと顔を上げて、遠目に映った人物に目を瞬いた。
「あ、柊平だ」
前方に、確かに柊平の姿があった。電話中なのか、片手を耳元にあて、空いている片方の手は身振り手振りが大きくなっている。
何かを叫んでいるようにも見え、優依は眉をしかめる。
快活で明るい友人ではあるが、電話口で怒鳴るような人柄ではない。
「あれだと相手は風紀長かな」
いぶかしんだためか、旭が電話相手を教えてくれた。
「風紀長?」
「風紀委員長。柊平、風紀長直属だから、よく連絡があるんだ」
旭の説明に、優依は充樹の話をぼんやりと思い出した。確か一年生では珍しい任命らしく、柊平自身顔と名はそれなりに知られているとか。
友人が有能さを認められ、それを評価されるのは嬉しいことなのだが。
「……仲悪いのか?」
遠目からでもわかるほどの柊平の憤りと、旭のそれを見慣れた様子に優依が呟く。
少し困ったように旭が笑った。
「んー、仲が悪いって言うかね……風紀長が仕事させてくれないんだって」
「苛めか?」
途端剣呑な空気を纏った優依に、旭が慌てて首を横に振る。
「そうじゃなくて、柊平が仕事する前に風紀長がやっちゃうんだって」
本来柊平がやるべきはずの仕事を、風紀委員長が先にやってしまうのだ。柊平は風紀委員長直属の、言うなれば部下だ。副風紀委員長とは別の、長を補佐する仕事がある。もちろん、自身に振り当てられた仕事もある。
だがそれら全てを、風紀委員長が先に片付けてしまうのだ。
風紀委員長はその頂きに座すに相応しく有能な男である。だが、本来部下がやるべき雑事を風紀の長たる彼がやる必要はない。
いくらそれにまで手が回ると言っても。
悪意ない、絶対的な善意であったとしても。それは彼がすべき仕事ではない。
「仕事を覚えさせたいなら、俺にやらせなきゃ意味ないだろ?」
ご立腹らしい柊平が側まで来ると、旭の発言を補足すように言葉を繋ぐ。
「やるべきことを取り上げられたら、俺はなんのためにいるんだよ……!」
絞り出すような柊平の声は、腹に据えかねたようにかすかに震えていた。
固く握りしめられた拳に友人の憤りとかすかな寂寥感を見て、優依は顔を背けるように視線を落とした。
何故だろうか、優依は柊平の言葉を真っ直ぐと受け止められなかった。
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