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第12話
月曜の朝、一枚の紙切れが再び全校生徒を賑わせた。紙面を大きく半分近く切り取り、生徒会長と噂の転校生のツーショットを掲載した号外新聞だ。見出しには、『早朝デート!?』と文字が踊り、土曜の朝森から親しげに出てきた様子がこと細やかに説明されていた。
沸いた生徒たちとは対照的に、その紙切れ一枚に大きく頭を抱えた生徒が二人いた。
一人は件の片割れ生徒会長、弥勒比呂だ。
まさか森から出てくるところを撮られているとは思ってもみなかった。比呂の苦心により、森に近付く人物はほとんどいない。その思い込みが、今回の結果を招いてしまった。幸いと言うべきか、泉に行ったことまではバレていない。
何かと目を惹く二人なだけに、人目のつかない森で早朝デートか、と紙面には興味津々の文字が踊る。
生徒会長として、人前に立つ機会が多い比呂は、こういったプライベートが切り取られることが珍しくない。皆暇なのだ。身近な有名人として、半閉鎖的な独特のノリで追いかけ回されている。
だから、比呂のことは構わないのだ。それも含めての長という立場だと自認している。
だが、優依は違う。
生徒会補佐として勧誘した事実はあるが、彼は一般生徒だ。不躾な輩を優依は嫌う。こういった暴かれ方は不愉快だろう。
前回あれほど釘を刺したと言うのに、まだ足りなかったようだ。ほぞを噛んだところで後の祭りで、比呂は整った顔を盛大に歪めた。
不機嫌に顔を顰めた比呂のそばで、もう一人途方に暮れていたのは広報・門倉充樹だ。
比呂のよく出来た男前の顔が鬼の形相に変わるのに顔色を変え、この場にいない新聞部部長に悪態を吐く。同い年の男に、泣かされる寸前まで怒られるのは新聞部部長ではなく、生徒会と繋がる充樹なのだ。一度目は寛大でも、二度目は許さないと言うのが弥勒比呂と言う男だ。それでも、寛大な一度目で充樹は泣かされそうになったのだ。許されない二度目はどうなるのか。
ゴクリと喉を鳴らした充樹が、判決を待つ犯罪者のような面持ちで比呂の前に立つ。
比呂が顔上げ、この憤りをどうぶつけるべきかと、目の色が変わる。
土曜の朝、比呂は得難く楽しい時間を過ごしたのだ。拒絶しか見せなかった優依が、少しだけ比呂に歩み寄ってくれた。それにどれほど心踊らせ、喜んだか。
わずかに縮まったはずの距離も、たった一枚の紙切れで元の木阿弥だ。
半ば八つ当たりで怒鳴り散らそうとして、それより早くパシリと叩かれた机の音に比呂は声を飲み込んだ。
二人してはっとし、首を巡らせる。
薄い紙切れを傍に退け、代わりにA4の資料を携えた美貌の副会長が立っていた。
「怒鳴るのも怒鳴られるのも、後でやってくれる?」
凛とした空気を纏う白皙の美貌を持つ彼女が、目を怒らせたままにこりと笑いかける。
背中まで伸びた癖のない黒髪を後ろで一つに結い、きりりと引き締まった口元を薄く笑ませる副会長・桐生天音は大層美しい。清冽で清々しい空気を纏う彼女が微笑む姿は、あたかも丹精込めて作り込まれた美術品のようだ。
だが笑いかけられた二人の男は、笑う天音が怒っていることを知っていた。
彼らの付き合いは長い。特に比呂と天音は、物心付いた時にはお互いに存在を認識していたほどだ。天音の機微はよくわかる。
「悪かった……。来週弓道部が放課後合同練習するんだったか?」
素直に謝った後で、話の腰を折っていた話題を戻す。
充樹も心得たもので、すでに開いていたスケジュールに目を落とし、練習にやって来ると言う学校名を告げる。
「また人員整理が大変になっちゃうね」
弓道部員の人数と開始時間、練習内容などを充樹がそつなく告げ終わると、事前の連絡と相違ないとチェックしていた書記・佐久間鈴花がぽつりと零した。
ばっと、比呂と充樹の視線が彼女に向けられる。
鈴花は意味を問う二人の視線に、だって、とはにかんだように笑った。
「天音も出るんでしょう?」
可愛らしく小首を傾げると、鈴花のふわふわと揺れる薄茶の髪が肩口で踊る。
その名が表すように、彼女の声は鈴のように可憐だ。だがその鈴花の愛らしい声は、少なからずその場の二名を驚愕させた。
「そうなの、天音ちゃん!?」
ぐりんと、鈴花から天音に顔を向けた充樹に、彼女は平然と首を縦に振った。
「その話、前にちゃんと出てますよ、門倉先輩」
充樹の声があまりに大きかったのか、わずかに眉間を寄せたこの場唯一の下級生・有馬郁がそう口を挟む。
彼はこの花のように麗しくも騒がしい生徒会の中で一人年下のためか、とても静かだ。毎日朝議には出席するし、態度も真面目で周りからの信頼も厚い。その見目も真面目な彼に相応しく、キリリとした眼鏡姿が理知的に映る。そのくせ小柄で発展途上の体が年下らしく可愛らしさを見せてた。
その年下の彼の指摘に、充樹は咄嗟に比呂を振り返る。
比呂は記憶を辿るように視線を上げたが、それらしい記憶が見つかることはなかった。
「前回練習するって許可を貰った時、確かに話したんだけど?」
天音の涼やかな声が、比呂の背筋もひやりと涼しくさせた。
ずいっと天音が比呂に顔を近付け、泳ぐ比呂の目を覗き込む。
白皙の麗人からの吐息がかかるほどの接近は、健全な男子高校生としては心臓によろしくないものである。
だが比呂は天音を幼少の頃から知っている。彼女は小さな頃から、今の姿になるに相応しく麗しい顔立ちをしていた。だから贅沢なことに、比呂はこの顔を見慣れている。そしていくら相手が絶世の美女であろうとも、それがクラリーチェでないのなら胸の鼓動は高鳴りはしない。
だが比呂の心臓は、それとは違う意味でドキドキと早鐘を打っていた。
蛇に睨まれた蛙のうよう動けなくなった一瞬後、天音の形の良い唇が笑みを一層深くした。
「会長に挨拶をお願いしたいって言う話は、もちろん忘れてないよね?」
にこりと、白皙の麗人が微笑む姿は凄みを増してたいそう美しく。
例えその話が頭の片隅にも残っていなかったとしても、是としか答えが用意されていなかった。同様の充樹も、歪に狼狽えた声で天音にもちろんだよ、と笑う。
二人の返答に満足した天音はぱっと比呂から離れ、先とは一転した清廉で柔らかな笑顔を浮かべる。
「じゃぁ、よろしく」
心まで取り込まれるような笑顔に二人の男は息を吐き、片手を挙げて今一度良い返事をした。
天音の練習の参加に加え、比呂まで現れるとなっては、弓道場の混乱は目に見えている。それをなんとか収めなければならないと、比呂と充樹は頭を突き合わせた。
そのすぐそばで、鈴花が可憐な花の顔を曇らせてひっそりと息を落とした。
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