16 / 20
第16話
告白をしてからの明確な拒絶は、少なからず比呂に衝撃を与えたようだった。日参していた比呂の訪問が、ピタリと止んだ。クラスメイトはその変化に驚き動揺を隠せず騒ついたが、優依はそれを当然のこととして受け止めていた。
比呂は受け入れられても、ラルスは受け入れられない。その言葉は、あの男の存在を否定することだ。
胸に刺さる鈍い痛みを自覚しながらも、優依はただ現状を受け止める。
あの男が目を伏せ口を閉ざす時、優依もまた目を閉じ耳を塞ぎたくなる。愛しい男を前にして、胸に暖かな炎を灯しながらも、時々陰ったように仄暗くなる。比呂を見て、言いようもないほどの罪悪感を抱く時がある。
それは何故なのか。
優依には知らない、クラリーチェがいる。
遠い記憶の海の底で、クラリーチェが蹲って泣いている。どれだけ叫んでも、どれだけ手を伸ばしても、優依はクラリーチェに届かない。彼女を深淵から救い出せるのは、優依しかいない。
「そう言えば、優依。ありがとうな」
生徒会長が優依を昼に連れ出さなくなって当たり前になりつつあった昼時、柊平が思い出したように礼を述べた。
比呂が優依を連れ出さなくなったので、三人の昼食場所は教室が主になっていた。優依一人でも十分目立つことに変わりはなく、今は逆に比呂と一緒にいないことに好奇の目を向けられることも多い。必然的に教室内に留まることが多くなり、三人で机を囲んで昼を食べる。
周りにはお弁当組の女子などがいたりして、三人は時折彼女たちの弁当のご相伴に預かったりもする。だが今日の彼女たちの話題は優依たちになく、きゃっきゃと女子トークに花を咲かせているようだった。
彼女たちの楽しそうな声を耳にしながら、優依は咥えていたストローを離し、柊平の言葉に首を傾げる。
「なんの話だ?」
彼に改めて礼を言われる理由が優依には見当たらない。
思い当たる節がない優依に、柊平が困ったような気恥ずかしいような表情を浮かべる。
「風紀長のこと……優依が言ってくれたんだってな」
おかげで少しずつではあるが、きちんと仕事が与えられるようになったと、柊平がはにかんで笑う。
優依はそう言えばそんなことを比呂に言ったことがあったなと思い出し、刺した鈍い痛みに顔をしかめる。
「言ったのは俺じゃなくて、比呂だけどな……」
釘は刺しておく、と言った男は、その後きちんと風紀長に告げたらしい。
顔を歪めて比呂の名を口にした優依に、旭がさっと顔色を変える。
旭は唯一優依の心の内を知っている。優依からうっかり飛び出した失言の次の日から、比呂はピタリと訪問をやめた。あの日比呂に任せて優依を残して帰ったことを、旭はひどく後悔していた。
「優依……」
泣き出しそうな旭の声音に、優依は苦笑する。
今の現状に、旭は関係ないのだと言い聞かせても、旭はなかなか信用してくれない。
慰めるように旭の頭を撫でて、柊平に向き直る。
「よかったな。じゃぁ、仕事が回ってくるようになったんだな」
「ほんと少しずつだけどな。でもないより全然マシだ」
旭の顔色の変化に一瞥したものの、柊平は特に何も触れることなく優依に明るく笑いかける。
何かあると知りながらも、触れてこない柊平のこういう心遣いを、優依はいたく気に入っている。
柊平が、からりと笑う。
「やっとちゃんと居場所が出来たって気がするよ」
明るい声に、旭もつられたように笑顔になる。
「居場所がないってずっと言ってたもんね、柊平」
「そこにいる意義を取り上げられたのに、それでもそこにいろなんて、どんな拷問だよ……」
「いるだけで何にも出来ないって、その内周りから煙たがられるよね、絶対」
ねぇ、優依、と旭に笑顔を向けられ、優依はなんとか頬を緩ませた。
遠くから、波のように襲ってくる頭痛があった。ドキドキと早鐘を打つ心臓は警告を恐れるようで、刺すように鋭くなる痛みに体温が下がっていく。
この痛みを知っている。優依がラルス・ライルに触れようとする時、クラリーチェを深く探ろうとする時、押し留めるように現れる。
警鐘を鳴らすのは、それが都合が悪いからだ。
誰とって。
優依にとって?
クラリーチェにとって……?
波のように襲う頭痛に唇を噛み締め、優依は腹に力を入れて痛みに耐える。
この痛みから逃れようとして、優依は今まで気付きかけた何かを見逃してきた気がする。この痛みの先に、気付かなかった何かがあるのかもしれない。
「ねぇ!」
痛みの先にあるはずの何かを掴もうとして、突然割って入ってきた高い声に優依ははっとした。
そばにいた女子グループが、三人の机に詰めようように集まっていた。
少し憤然としたようにも聞こえる女子の声に、柊平が慄いて彼女を振り仰ぐ。
「……なんだよ」
談笑中に突然怒りを含ませた声が割って入ってこれば、誰でも狼狽えるものだ。
だが彼女たちは柊平の声に構うことなく、眦をきりりと釣り上げて声を荒げた。
「彼女と仕事、どっちが大事!?」
「はぁ!?」
突然割って入ってきて、突拍子もなくなんの話だ。
裏返った声に、だがしかし彼女たちの顔は真剣で、柊平は深々と溜息を落とした。
「女ってそう言う話好きだよな……」
呆れた声に、少し決まり悪くなった彼女がだって、と呟く。周りの女の子たちに目配せをしながら、ねぇ、と頷きあう。
社会人の彼氏に仕事を理由に約束を反故にされたのが、そもそもの話の始まりだとか。会社からの要請で休日出勤を余儀なくされ、彼女はそれを仕方がないと許した。だがよくよく追求していくと、その日、彼氏は会社の取引先の娘と会っていたと言うのだ。上役の勧めもということあり、仕事の一環としてどうしても断れなかったという言う。
「それって、仕事が上手くいくために、その取引先の女と付き合っていかなきゃいけないってことでしょ!?」
彼女と付き合う気はないと彼氏がいくら真剣に説いたとて、会社の意向に従う男が取れる言動は限られている。彼氏は彼女と付き合いながらも、取引先の女とも手を切らずにそれなりに付き合うことになる。
それを本命の彼女として許してなるものか。
怒り心頭の彼女に、まぁ、と柊平と旭が頷き合う。
社会人としての立ち位置を、学生である柊平らが理解出来るものではない。だが、付き合っている彼女に対して不誠実なのはわかる。
彼女が憤然として息を吐く。
「彼の仕事がうまくいかないようにする方法ないかな……。最低な男だとかなんとか噂になって、社会的にダメにならないかな」
色々と問題になりそうな発言をさらりとこぼした彼女を、ぎょっとした表情で旭が見て、柊平が嘆息する。
「やめてやれよ……」
仮にも好きな男を貶めるようなことを平気で企むなどと。
戒めに彼女は怒りで顔を赤くさせ、だって怒りが収まらないと、息巻く。
「わたし以外女と一緒にいる彼なんて見たくないもん!」
叫んだ彼女と、蒼白になった優依が席を立つのはほぼ同時だった。
真っ青になった優依の顔色に、一堂が目を見張る。
「優依、大丈夫か?」
「優依くん、顔真っ青だよ?」
騒然とした面々に、優依は手を挙げて小さく詫びを入れる。
「悪い……保健室に行ってくる……」
弱々しい声を落とし、優依は蹲りそうになる体を支えて教室を出て行った。
ともだちにシェアしよう!