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SCENE5
俺と暮らすようになって約三ヶ月。凛が活動を休止して、もうすぐ一年。
最近、凛はイライラしている。
マネージャーや事務所の社長といった関係者や知りあいのミュージシャン達から、結構頻繁に電話がかかってくるようになったからだ。
みんな、凛に言いたいことは同じ。ストレートに言うか、遠回しに言うかという人それぞれの違いはあれ、そろそろ活動を再開したらどうか、ってこと。
一日に何回も鳴るスマホ。うざいと言ってバイブにしたり、電源を切っていて出ないと、今度は家の電話が鳴ったりする。生活を乱されて不機嫌な凛は、時々電話の相手に怒鳴り返してしまう時もある。
この頃の凛は、俺との穏やかな二人きりの生活に満足して、楽しんでいるようでさえあった。本当は人前で自己表現するよりも、誰かのためにだけ生きる方が、凛にはあってるのかも知れない。
だけどそうはいかない。たくさんの人が、凛の活動再開を望んでる。凛を知る人なら誰でも、その才能が世間から消えてしまうのを惜しむのは当然だ。
「しつこいよ」
電話の相手に、凛は吐き捨てるように言った。いつまでも粘っている相手は、どうやらマネージャーらしい。
二人で見ていた映画のDVDを止めて、俺は凛の背中を見つめた。
「俺に電話するようにみんなをそそのかしたのも、あんたなんだろう?」
そうか。そうだよな。マネージャーも必死なんだ。だけどマネージャーに言われたからというだけで、律儀に電話をかけてくる人はあまりいないだろう。
「だからほっといてくれ、歌えねえものは歌えねえ!」
ついに凛は声を荒げ、一方的に電話を切ってしまった。
舌打ち。乱暴な足音。どっかりと俺の隣に座る凛。
凛のいらだちをますますかきたてる電話。残酷かも知れないけど、俺だって凛にまた歌ってくれとせがみたい。
でも俺は黙っている。これで俺まで凛をせっついたら、凛の居場所がなくなってしまう。追いつめられてしまう。
俺の気のせいでなければ、最近凛が俺の行動に眉を寄せることが少なくなった。北斗と俺を重ねることをやめたのかも知れない。そんな淡い期待を、俺は持ち始めていた。
それならずっと、このままでいいんじゃないか。俺は少しずつ、自分らしくふるまえるようになってきている。
特別なことはなにもない暮らし。凛はシンガーである以前に、ただの大久保凛なんだという、当たり前の事実に気づいた。
だからこそ、凛の心が望むまま、ただ静かに暮らしていたいと思う。北斗の存在も、身代わりにされてる痛みも、完全には消せない。だけどなにより、そばにいたい。
きっとなにもかもを時間が解決してくれる、と思うのは、動かずにいる自分達への言い訳だろうか。
俺は不機嫌をあらわにして煙草に火をつける凛に、そっと抱きついた。
「お前は、甘えん坊だな」
煙草の煙を吐き出して、凛が片頬で笑う。声からとげが、少しだけ消える。
「……凛といるんだなあって、味わってんの」
乾いた声が出て、俺は思わず唇を噛みしめた。
「かわいいこと言うよな」
俺の髪をくしゃくしゃなでる凛。俺はもっと身体をすり寄せる。ふれあわせた唇は、かすかに煙草の味がした。
「さ、続き見よう」
凛は俺の肩を抱いて、くわえ煙草でリモコンの再生ボタンを押した。
甘えん坊なのは凛の方だよ、と俺は内心つぶやく。
凛は常に、俺の身体のどこかにふれているようになった。大好きなおもちゃを、いつでも手に持っていないと気が済まない子供のように。
ラブコメディのハッピーエンドを見届けると、凛は大きな伸びをした。
「面白かったな」
「うん、主役の女優かわいいよね」
「さてと、腹も減ったし、メシ食いに出ようか」
明るい声。映画のあたたかさに、凛の気持ちもすっかりやわらいだらしい。
「でも俺さっき服全部、洗濯しちゃった」
「マジかよ、困ったな」
「今乾燥機かけてるから、とりあえず着る分だけにして回したら、早く終わるよ」
俺の言葉に凛はなぜか険しい顔で、煙草に火をつけて一口吸った。
「……クローゼットにある服を着たらいい。左側にある服ならサイズがあうだろう」
ごろりと唇から転がり出る、つらそうなつぶやき。
「え……?」
俺は驚いて凛を見つめた。変に胸が高鳴る。
一回だけ入ったウォークインクローゼットには、服がぎっしり詰まっていた。右側が凛、左側が北斗と分けていたようで、服の趣味は明らかに違っていた。でも俺はそういう二人暮らしの証にはふれずに、これまできた。
「でもあれって……」
期待、不安、疑問。ごちゃ混ぜになって、胸がますます高鳴る。声が渇く。
「死んだんだ」
俺の言葉を断ち切って、凛が言う。
俺は息を飲んだ。やっぱり、そうだった。
凛は俺の視線を、引きつったような笑みでどこか遠慮がちに受け止めた。
「死んだ恋人の服なんだ。お前がよければ、着たらいい」
死んだ。凛が初めて、自分から恋人のことを話した。重い事実を、自分に言い聞かせるように。
「そう、だったんだ……」
うれしい、そんな言葉で言い表したらおかしいかも知れない。でも俺には、今の言葉が確かな前進の一歩だと思えた。
ちゃんと北斗の死を認められてるなら、もう俺のことも身代わりだなんて思ってないんなら、凛が歌を取り戻す日も、きっと近い。
「さ、どうすんのか早く決めてくれ。俺は腹ぺこなんだ」
「凛はどうなの? それでいいの?」
うなずいて、凛はぎこちなく微笑んだ。
「服は着るためにあるんだからな」
もう大丈夫かも知れない。凛は立ち直りつつある。だからこそあんなにも、イライラしてるのかも知れない。
信じよう。信じたい。
「じゃあ、せっかくだから」
俺は泣きそうになるのをこらえ、ウォークインクローゼットに足を踏み入れた。
二人で行きつけのカフェで遅いランチを食べて、スーパーで買い物して。夕方帰ると、買ってきた惣菜をテーブルに並べて、二人でぼんやり野球中継を見ながらビールを飲んだ。
「あんまりにもお前と死んだ恋人が似てたから、声かけたんだ。ごめんな、お前も気づいてたよな」
テレビを眺めながら、突然凛が切り出した。俺が黙ってうなずくと、静かに肩を抱いてきた。
「あいつはカメラマンだった。お互いプロになったばっかりの頃に知りあって、二人ともやたら理想に燃えてたせいか気があって、気づいたらつきあってた」
凛は目を細めて、くすくす笑った。
「俺の歌。あいつの写真。才能に惚れあって、触発しあって、すげえいい関係だったと思う。自画自賛だけど」
そう言って、優しい目を部屋の隅に飾られた写真に向ける凛。
「だけどあいつ、仕事が乗ってきたもんだから、身体の調子が悪いの気にも止めないで、むちゃくちゃ働いてさ。倒れて病気だって分かった時には、もう遅かった」
軽い口調でなんでもなさそうに話すのが、かえってせつない。大きな瞳は、うるんでいた。まっすぐに、北斗が撮った写真を見つめて。
「なあ、お前も俺に、また歌って欲しいか?」
凛は俺を、真剣に見つめた。俺がどうしようもなく魅かれた、挑むような力のある瞳で。
「うん、俺凛の歌、結構好きだよ」
俺はさりげなく言った。ファンとしては思いっきりうなずいてせがみたいけど、恋人として凛を思うなら、きっとさらっとした言葉がいい。
「そっか」
くしゃっと笑って、頬に小さなキス。
「だけど、無理はしないで。歌は人を幸せにするためにあるもんだろ?」
凛はこれ以上ないくらい笑顔の柔らかさを深めて、何度もうなずいた。
「お前がいてくれたら、あとは取り戻すだけの気がしてきてるんだ。頑張るよ」
「凛……」
泣きそうだった。あわててこらえたら、喉が痛んだ。
「洋、ごめんな。苦しかったよな」
我慢できなかった。涙があふれた。ずるい。そんなにやさしく謝らないで欲しい。
「なんだよ、泣くなよ」
「……だって、だって、うれしいっ……」
やっぱり、ひたすらに想えば伝わるんだ。俺はもう身代わりじゃないんだ。
涙が止まらなかった。凛は俺が泣きやむまで、子供をあやすように髪をなでていてくれた。
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