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治療

エリック・クィンは、ポールのオックスフォード大学時代からの友人だった。 ベリオール・カレッジでの生活において、入寮時に同じ部屋を割り当てられたふたりは、友情を深めていき、大学を卒業し、別々の進路を辿った後も、交流は続いていた。 極度の人見知りで、卑屈で、性的マイノリティだったポールと、社交的で人望があり、家柄も良く眉目秀麗なエリック。出会った頃はとてもじゃないが仲良くなれないと決めつけ、彼とは距離を置いていた。エリックもそれを察してか、最初はさほどこちらに興味を示してこなかった。 けれども、寝食を共にし、勉学に励む中で、互いのことを少しずつ知り、理解を深めていくと、思いのほか気が合うことが分かり、やがて打ち解けていった。 洞察力に優れていたエリックは、ポールのコンプレックスを見抜き、それに付随する昏い過去と心の澱を、何の偏見もなく受け止めてくれた。「人の嗜好はそれぞれだから、君は堂々としていればいい。それをおかしいと言って非難する人間がいるとすれば、それは君の問題ではなく、相手の問題だ」そう言われ、少なからず勇気をもらったことを、ポールは今でも憶えている。 対するポールも、当時イギリス法務省のトップに君臨していた父親の存在や、法務大臣の息子という肩書き、周囲からかけられる多大なプレッシャーに人知れず苦しんでいたエリックを、ただひとりの青年として見てきた。 彼が父と同じ司法の道に進むことを躊躇っているのを知った時には、「自分自身を見失ってはいけない」と助言し、彼の異常値とも言える高いステータスに目がくらみ、しなだれかかってくるレディ達に辟易している時には、寮部屋に閉じこもって、長いティータイムに付き合ってきた。 学生時代に、互いになんでも話せる存在となり、自然体でいられる間柄になった。社会人となった現在は、プライベートの話題であれば、きっとお互い、知らないことはないと思う。 良いことも悪いことも、辛いことも悲しいことも、腹立たしいことも、すべて打ち明け、共有してきたはずだ。 そして、エリックと過ごした時間があったお陰で、ポールは人並みに社会に溶け込んで、生きていくことができている。 ポールにとって、エリックは唯一無二の友人だった。 「––––……ネクタイで止血できているってことは、銃創はそんなに深くないね」 家具に血痕が付くのを避けるため、ショーンは青年をシャワールームに連れて行き、壁に背を預けて座らせた。ほのかに底冷えする床に片膝をつき、銃弾を受けたとされる左上腕部に巻かれたシルク地のモスグリーンのネクタイを解く。それから、ポールが寝室から持ってきた救急ボックスの中からハサミを取り出し、青年が着ていたシャツの左袖だけを断ち切った。 露わになった患部から、だらだらと血が流れていく。普段、殺人現場で見かける赤黒く凝固しかけているそれとは違う、鮮やかな赤色だった。ショーンはそこに止血剤をたっぷりとかけ、清潔な布で圧迫し始めた。 青年はいっそう顔を歪め、小さく呻きながらも、激痛に耐えていた。その様子を見て、ショーンは感心したように「辛抱強いね」と言った。 「俺が君の立場なら、鎮痛剤を投与してからじゃないと、絶対に処置を受けないね」 「……投与してくれても、構わないんだが」 低い掠れ声で青年が言えば、「あいにく、一般家庭に即効性のある鎮痛剤は置いてないんだよ」と苦笑まじりに返す。ショーンはそして、ちらりと振り返ってこちらを見てきた。 ポールはシャワールームの入り口に立ち、夫と青年の一連のやり取りをじっと静観していた。 救命医であるショーンにとっては造作もないことなのだろうが、その的確さと手際の良さ、そして彼の平常心には舌を巻く思いだった。とてもじゃないが、自分にはできない。改めて、医者とはすごい職業だと思った。 ほんのわずかに、こちらに目配せをしたのち、ショーンは再び青年へと視線を戻し、脂汗をたっぷりと滲ませる強面を窺った。 「数ミリ、撃たれた場所が内側だったら、こんなものじゃ済まなかっただろうね」 「……エリックを庇い、かつ自分も被弾しないよう、銃口との位置や弾道を計算して飛び込んだが、間に合わなかった」 青年がぼそりとそう言ったのを聞き、ポールは目を見開いた。 一瞬、彼が何を言ったのか、理解できなかった。 「それって、エリックが狙撃されることを知ってたってこと?」 ショーンが極めて冷静な口調で訊けば、「いや、そうじゃない」と青年は即座に否定した。 「エリックと事務所を出たところで、エリックに向けられた銃口を目視した。その瞬間にそれらを頭の中で弾き出し、彼に飛びついた。俺も彼も、何も知らなかった」 先ほど、エリックも震える声で言っていた。ウェストミンスターで自身が代表を務める政治コンサルティング事務所を出て、自宅に帰ろうと駐車場に向かおうとしたところで、急に彼が飛び込んできた。同時に銃声が耳をつんざき、ふたりして地面に倒れ、顔をあげたところで、黒塗りの車が走り去っていき、覆い被さる彼が左腕を怪我したのを知ったのだと。 「嘘は、ついてないんだな?」 ポールは硬い声で青年に問う。すると彼の青い目が、すっとこちらに向けられた。人工的で無機質な色だった。 「神に誓って」 その瞳からはいまいち心情が読み取れず、青年の言葉を信じていいのかどうか、判断に迷った。けれども、あの怜悧で肝が据わった親友が、あれほどまでに狼狽え、ショーンに助けを求めてきたことを思うと、この男はエリックにとって、よほど信頼できる人間だと考えていいのかも知れない。 ……確か、名をジェフと言っていたか。 3年ほど前に、ボディーガードを雇ったとエリックから聞いていたが、きっと彼がそうなのだろう。今夜、初対面を果たしたというわけだ。 「エリックのところへ行ってくる」と言い、ポールはシャワールームを出て、リビングへと向かった。……気持ちを落ち着けようと深呼吸するも、胸のざわつきは一向におさまらない。顔がおのずと石のように強ばってしまい、寒くもないのに指先に感覚がなかった。 この状況を理解こそすれ、まったく納得できていなかった。 だから、すべて聞き出さないと。

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