4 / 12

動揺

リビングでは、エリックが革張りのソファに腰かけ、項垂れていた。 緩やかなウェーブがかかった艶やかなブロンドの髪が、ところどころ重力に従って垂れ落ちている。普段であれば、整髪料でかっちりとまとめているのに、彼らしからぬ乱れっぷりだった。 ポールはエリックのとなりに、静かに腰を下ろした。 目の前に置かれたガラス製のローテーブルには、ミネラルウォーターを注いだマグカップが乗っている。救命ボックスを手にシャワールームへと向かう前に、エリックに出したものだが、それに手をつけた様子はなかった。 「落ち着いたか?」 平静とした声で訊ねれば、エリックは大きなため息をつき、重々しく頭をあげた。 精巧なビスクドールを思わせる端整な顔は、いまだに血が通っているとは思えぬほどに蒼白かった。 柳眉は弛んだ糸のように歪んでおり、密度の高そうなヒスイ色の瞳は、不安定な光を宿していた。その目で見つめられると、4年前のあの日を思い出してしまう。 エリックの妻が自宅で銃殺されていると通報を受け、刑事として彼の元に訪れた時のことをだ。 「悪い」 エリックは弱々しく言い、再びため息を吹き出した。「みっともないところを見せてしまった」 「気にするな。目の前で人が撃たれたら、誰だって動揺する」 「……ジェフの怪我は?」 「血が結構出てる。でも、止血さえできれば、どうにかなるみたいだ」 三度目のため息が、ポールの鼓膜を揺らした。 「……ジェフは、俺を庇って怪我をした」 苦々しい表情で悔いるように呟いたエリックに、やはりあの日の彼が重なってしまう。 相当、参っている。 「襲撃してきた人物に、心当たりは?」 エリックは両手で口元を覆い、虚空をぼうっと見つめる。 「ある。今請け負ってる仕事がらみだろう。誰の差し金かは見当がつくが、狙撃手(ヒットマン)も証拠も抹消して、シラを切ってくるはずだ」 政治コンサルタントと言っても、やっていることは決して華々しいものではない。 かつて、エリックはそう言って肩をすくめてみせたことがある。仕事のためなら、手段を選ばない。依頼者である政治家、選挙候補者が望む道を切り拓くため、時にはイリーガルな取引を水面下で実行する。 彼が、イギリス政治界の黒幕(フィクサー)だと噂されるようになったのは、いつの頃からだっただろうか。 味方よりも敵の方が多い環境に身を置き、様々な思惑が交錯する中で、足元をすくわれぬよう常に気を張って生きている彼を、ポールはしばしば気にかけていた。警察組織の人間として見れば、エリックの行いは決して許されることではない。エリック本人もその意識があるため、ポールに仕事の話は一切してこない。まったく構わなかった。友人とは言え、それぞれに社会的立場がある。互いを面倒事に巻き込まないためにも、言えること言えないことがあって当然だ。 ……もっとも、エリックに違法行為を告白されたところで、ポールはこれと言って何もしないだろうが。 警察組織に対する忠誠心はとっくの昔に消え失せ、組織内の腐りきったものを見知ったところで、特出した感情を抱かなくなった中堅刑事だ。エリックの身に危険が及ばない限り、多少の悪事くらい見逃すつもりだ。 「……おそらく、俺に怪我を負わせて、今の仕事から手を引かせようとしたんだろう。命を狙うにしては、不確実な状況だった」 エリックはそこで、はっと目を開いた。 「いや、ということは、狙撃手は俺じゃなくて、ジェフを狙っていたのか……ジェフが俺を庇うのを見越して、銃を構えていた……?」 「ちょっと待ってくれ」 ポールは眉を寄せた。「何で、そう思った? 仮にそうだったとして、なぜ彼が……ジェフが狙われる?」 エリックは途端に、苦虫を噛み潰したような表情になった。しまった、とでも言いたげだった。確かに、彼らしからぬ、とんでもないミスだ。これではジェフが、いわくつきだと言っているようなものだった。 いったい、どうしたというのだ。 いくら取り乱しているとは言え、自らが不利な状況に陥るようなことを、こうも簡単に漏らすなんて。隙を見せるにしても、エリックの場合は、いつも意図的だ。今この時、この場所で、この人間になら気を許してもいいと、彼が定める条件をクリアした時にだけ、そうなる。 あまりにも機械的で器用で、気の毒な男なのだ。 それが今は、とんと機能していない。 真相はどうであれ、結果としてジェフが傷ついたことが、それほどショックだったというのか。 だとしたら、あの青年は、いったい何者だ。 本当に、ただのボディーガードなのか。

ともだちにシェアしよう!