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素性

シャワールームの床一面が、血の色で染まっていた。 ショーンとジェフの衣服もそうだ。鮮血で汚れきっている。そんな光景が目に飛び込んできて、ポールは身を硬くした。となりに立ったエリックも慄いたのか、ひゅっと鋭く、息を引っ込めていた。 「思ったより、血が止まらないんだ」 いささか余裕のない声で言い、こちらを見上げたショーンは、表情こそ落ちついてはいるものの、額からはとめどなく汗が流れていた。 「ずっと、圧迫はしてるんだけど、思いのほか血管の損傷が酷いみたい」 右手で血みどろの患部を押さえながら、ショーンはぐったりとしているジェフの首に左手をあてる。「……脈も弱くなってきた」 「圧迫止血だと、限界があるってことか」 「そうだね」 ジェフの顔は、先ほどよりも明らかに蒼白くなっていた。力なくまぶたを閉ざし、浅く荒い呼吸を繰り返している。 エリックは両手で口元を覆い、言葉にならない声を千々に漏らしながら、息を震わせていた。その表情は、悲痛なまでに歪んでいる。ポールは彼の肩を抱いた。指先に力が入る。 「病院に連れて行くべきだ」 「……それだけは、やめてくれ」 地の底を這うような低い声だった。見開いた目でジェフを見れば、彼はかすかに首を振り、もう一度「やめてくれ」と言ってきた。 「え……」 「俺は平気だ……このまま、血が止まるのを待つ……」 どこが平気なのかと、強い疑問を抱かざるを得ない脆弱な声でジェフが言えば、ショーンは困惑したように微笑した。 「俺もさっきから救急車を呼ぼうって言ってるんだけど、まったく聞く耳を持ってくれなくて……」 「……絶対に呼ぶんじゃない」 弱々しいながらも鋭い眼光で、ジェフはショーンを睨んだ。感情が読みづらいと思っていたが、そんなことはなかった。その目からは確固たる意志を感じ、ポールは思わず震えた。 よほど、素性を明かしたくないのか。それとも、他に理由があるのか。 何にせよ、このままでは彼の容態は悪化していく。 強がってみせたところで、左上腕部を間接圧迫している布は、血でしとどに染まり、ショーンが新しい布に取り替えていたが、すぐに駄目になっていく有り様だった。 「エリック」 ポールはエリックの顔を覗き込んだ。混乱しきった双眸を、じっと見据える。 「分かってるよな?」 エリックはぎゅっと目を閉ざした。肯定ととって、いいのだろう。程なくして、その目が開かれた。ふーっと吐息を揺らし、重々しく口を開いた。 「ジェフ、このままじゃいけない。君を病院に連れて行く」 ジェフは目を伏せるだけで、何も言わなかった。エリックが汚れひとつない革靴で、シャワールームに足を踏み入れる。そして、彼の傍らにしゃがみ、重傷の腕を見つめた。 まるで、自らが傷を負っているかのような、苦悶の表情だった。 「俺が、何とかするから。君の治療が、何よりも最優先だ」 「……これ以上、アンタに迷惑をかけられない」 小さな声でジェフがそう言えば、エリックはさらに顔をぐしゃぐしゃにした。 「迷惑じゃない。そんな風に思うな。君が助かるなら、俺は何だってする」 「アンタの命令に、俺は自らの意思で背いた……その責任は、俺自身でとる」 「死にたいのか!」 ビリビリと空気が鋭く振動し、反響した。エリックの怒号に、ポールの心臓は大きく跳ね、背筋がピンと張った。 怒っていいのか、悲しんでいいのか分からないと言った様子で、エリックはジェフを見つめた。 「俺は、君を失うのが何よりも怖い」 ジェフの力なき眼差しが、エリックをとらえた。ぼんやりと、彼だけを見つめている。 「今はただ、自分が助かることだけを切望してくれ……お願いだ……」 エリックはゆっくりと、その言葉をジェフの胸に植えつけるかのように口にした。切実な響きを孕んだ涙声だった。見れば、彼は肩を震わせ、はらはらと涙をこぼしていた。 感情を爆発させるエリックの姿を、久しぶりに見た。 彼は非常に、プライドが高い。そのため、他人に無様な姿を見せることを嫌う。今の彼がそうだと言うつもりはポールにはないが、彼自身はそう思っているはずだ。 それでも、発露せずにはいられない。 ジェフを救いたくて、必死なのだ。 しかし、ジェフは頑なだった。エリックの涙から逃れるように視線を逸らし、ぐったりと項垂れた。何を言われようと、何があろうと、ここを動かないつもりらしい。「ジェフ」と突き刺すように呼ばれても、無反応だった。 ショーンが額の汗を左肘で拭いながら、こちらを見ると、困ったねと言わんばかりに肩をすくめた。 ポールも同じ気持ちだった。エリックの説得にも応じないとなると、力尽くでジェフをここから引きずり出し、病院に連れて行くしかないが、怪我人相手に荒い真似はできない。 ……やはり、自らの意思で、医療設備や器具が揃う環境で治療を受けさせるしかない。 でも、どうやって? 「……ポール」 鼻をすする音と共に、妙に静謐な声がした。エリックが、涙で濡れた顔をポールに向けた。 「君は、ジェフが何者なのか、知りたいんだよな?」 唐突なようで、そうでないことを訊ねられた。ポールはいささか戸惑った。ショーンも少し、驚いているようだった。 エリックはこちらの返答を待たずして、話し始める。 「どうしてこの男を、病院に連れて行かなかったのか。この男は、頑なに行こうとしないのか。……組織に知られるのを、恐れているからだ」 「組織?」 「やめろ」 ジェフが唸るようにエリックを制した。が、エリックはそれを無視する。 「イギリス全土にある医療機関が、組織の人間に関する情報を保有している。なぜか? 該当者が搬送されてきたり、診察を受けたりしたら、その内容を組織に報告する義務があるからだ」 「なるほど、そういうことね」 合点がいった、とばかりにショーンが呟く。ポールもまさに、そんな感じだった。そうか、そうだったのかと、はっとさせられた。 エリックやジェフは、病院にその素性がバレるのを恐れている。そう思っていたが、違った。 真相は、病院で治療を受けた事実を、怪我を負ったことを、その詳細を、ジェフが属する組織に知られたくなかったのだ。 医療機関と連携し、情報を開示させる。それは、職員の非常事態をリアルタイムで把握し、即座に手を打つためだ。 「ジェフは、表向きは俺のボディーガードだ」 エリックは言う。 「けど、この男が俺と行動を共にする理由は、他にもある。……《5》の局員として、俺の行動を監視するためだ」

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