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ショーン・スコット
「空気が読めなくて悪いんだけど、いいかな?」
つと、場にそぐわない穏やかな低音が、沈殿した空気に投じられた。
ポールもエリックも、そしてジェフも一斉にショーンを見た。
彼は依然、ジェフの患部を押さえつつ、顔に伝う汗を拭いながらも、表情は柔らかく落ち着いたものだった。
「君たちの事情はよく分かった」
広大な青空、あるいは海を彷彿とする碧眼が、エリックとジェフを交互に見る。
「でも、そうは言っても俺は医者だからね。このまま彼を見過ごすわけにはいかないんだよ」
「ショーン……」
我知らず、口が夫の名を漏らした。それに反応したショーンが、柔和な微笑みをポールに向け、「大丈夫だよ」と澄んだ瞳で伝えてきた。
「だったら、この家を出て行く……」
ジェフはそう言って、身をよじろうとした。が、ショーンはそれを制する。ショーン以上に立派な体躯だが、弱っている今、ジェフは容易く壁に押しつけられ、動けなくなった。
「悠長にしていられない」
優しい表情とは裏腹に、その声はひどく張りつめていた。ショーンはまた、ポールを見た。
「病院に行けないのなら、ここで縫合すればいいんだよ」
「え?」
「ジェフ、この傷は縫合しないと止血は望めない」
ジェフは呻き声を漏らしながら、ショーンを睨んでいた。
「このまま止血するのを待っていたら、君の命が危ぶまれる」
「……俺は死なない」
「そう思っているのは、君だけだよ?」
やんわりとした口調で、容赦のないことを言う。
ショーンとは、そういう男だ。
「ポール。寝室のクローゼットに、黒い三つ折りのバッグ入ってたでしょ? 取ってきてくれない?」
目を剥いて固まるポールをよそに、ショーンはエリックに目顔を向ける。
「エリックはキッチンに行って、大きな鍋に湯を沸かして」
「え?」
こちらも、ポールと同じ反応だった。が、エリックの方が思考の再起動は早かった。眉を寄せ、錆びついた戸をこじ開けるように、口を開く。
「縫合糸があるのか……?」
「練習用のがね」
ショーンは答えた。「現場で使うのとは違って滅菌されていないから、まずは煮沸消毒。それから消毒液に浸して、それで縫っていく。後は化膿しないことを祈る、だね」
「大丈夫なのか?」
遅れて、ポールは強ばった声で訊ねる。そんな本格的な医療行為を家で実施していいのだろう。後で勤め先から何か言われないのだろうか。医療や医師免許に関する法律は門外漢だが、違法行為にならないのだろうか。
ショーンは頼もしく微笑んだ。
「大丈夫。何とかなるよ」
そう言われてしまうと、ポールとしては何も言えなかった。自分が世界で一番信頼している男の言葉だ。その言葉を信じ、自分はその責任を進んで担う。それがパートナーとしての自分の役割だ。
エリックの腕を引き、「行こう」と促す。彼は一瞬、躊躇うように視線を転がしたが、すぐにしっかりと定まった目つきになった。
シャワールームを出て、まずはキッチンへと向かう。収納棚から大鍋を取り出してエリックに託し、ポールは寝室に行こうとした。
「ポール」と呼ばれ、足を止めた。
エリックはこの家を訪れてから初めて、安堵の色を顔に浮かべていた。
「本当に、ありがとう」
ポールは柔らかく目を細めた。
「それは僕じゃなくて、ショーンにかける言葉だ」
自信も取り柄もない自分が唯一誇れるもの。それが夫のショーンだった。
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