それから３人は、いつの間にかソファーで眠りに落ちていた。 最初に目を覚ましたのが、ポールだった。座った状態でショーンに身を寄せていた。腰や背中が痛かった。 欠伸を噛み殺しながら腕時計を見れば、針は４時50分過ぎを指していた。閉めきったカーテンの向こうは、まだ暗い。夜明け前だった。 コーヒーが飲みたいと思い、となりですやすやと寝息を立てている夫と、向かいで静かに眠る友人を起こさぬよう、忍び足でリビングを出て、洗面所で顔を洗ってからキッチンへと向かう。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ケトルで湯を沸かし始めた頃、コツコツと足音が聞こえてくる。 エリックがキッチンへと入ってきた。 寝起きだからか、寝が足りないからか、疲労が取れないからか、顔色はあまり良くなかった。けれども目元と口元には、気怠げながらも爽やかな笑みが刻まれている。いつもとは違う、いい男っぷりだとポールは思い、口が左右に広がった。 「おはよう。君もコーヒー飲む？」 「おはよう。ありがとう、頂くよ」 食料品店で買った安物のインスタントコーヒーに湯を注ぐ。ダイニングテーブルに座り、互いに好きなだけ角砂糖とミルクを入れて飲み始めた。苦味の後に酸味を感じ、お世辞でも美味いとは言えなかったが、眠気覚ましにはなった。 「今日も仕事か？」 ポールが訊ねれば、エリックは両手でコーヒーカップを弄びながら、「ジェフ次第だな」と答えた。 「君たちは？」 「ふたりともオフ。キュー・ガーデンズでピクニックしようと思ってる」 「それはいい。桜が綺麗だろうな」 エリックは目を細め、カップに口をつけた。 「……昨夜のことは忘れて、楽しんできてくれ」 ポールは苦笑する。その時、ふいに思い出したことがあった。 「ひとつだけ、訊いても？」 エリックの柳眉がくいっと上がる。「何だ？」 「なぜ、ジェフが狙われたと思った？」 あぁ、と声を漏らし、エリックは決まりが悪そうに微笑んだ。 「それは、俺が失念していたんだ」 「どういうことだ？」 「俺は、今の仕事絡みで襲撃を受ける可能性も織り込み済みだった。だから、もしそうなった場合は、それを逆手にとって案件を有利に進められるよう、算段を立てていた。……ジェフには、俺を庇うなと指示を出していた。俺が負傷することがポイントだったからな」 「……そんな危険なことを」 想像はしていたが、実際にそうだと聞かされると険しい表情になってしまう。ポールの表情の変化を受け、エリックは苦笑していた。 「俺なら、救急搬送でも何でもしてもらって構わないからな。それに、ジェフがボディーガードとしての職務を怠慢していたかどうかについて問われても、雇い主の俺がノーと言えば、それでどうにかなる。まぁ一番は、襲撃されずに仕事を片づけられることだったが」 「頼むから、仕事は選んでくれ」 「善処する」 信用ならないと思い、ポールはため息をついてやった。 「誤算だったんだ」 エリックはコーヒーカップを置き、頬杖をついて目を伏せた。 「説得するのは大変だったが、ジェフは最終的に、それを飲み込んでくれた。だから、大丈夫だと思っていたんだがな」 ジェフは結局、エリックの命令に反し、彼に向けられた銃に反応し、飛び出した。 エリックが傷つくのを恐れたからだろう。 「自分で庇うなと言っておきながら、そのことをすっかり忘れて、あんなことを口にしてしまった……あの男は、いつも俺を守ってくれる。それが俺の頭に刷り込まれているんだ。だから、狙撃手もそれを見越してジェフを狙ったのだと、考えてしまった……愚かな男だよ、俺は」 そういうことか、と納得した。 「それだけ、ジェフを信頼してるってことだ」 「……そうなんだろうな」 エリックは素直に認めた。 不謹慎だと思われたくないので、決して口には出さないが、面白いことがあるものだと、ポールは内心思っていた。 完璧を地でゆき、一切の隙を見せないこの男が、こと恋愛が絡むと、あり得ない失態を犯しがちになる。 ジャネットの時もそうだった。彼女が過激派組織に加担していることはおろか、テロリストと不貞行為をはたらいていることに、エリックは気づけずにいた。そして、あの凄惨な事件を迎えることとなったのだ。 恋愛すること自体は、何も悪くはない。 けれども恋や愛に溺れ、物事の実態を掴めずにいたり、正常な判断ができずにいるのは、極めて危険だ。 そして、その様子だけを見れば、エリックはどこにでもいる普通の男だった。 学生時代の、まだまだ青かった頃の彼と重なる部分があり、ポールは懐かしさを覚えるのと同時に、密かに胸をざわつかせていた。 エリックが破滅する姿を、見たくない。 けれどもそのために、愛する者を切り捨てろなどと、言えるわけがない。言っていいわけがなかった。 「恋や愛は、理屈じゃないよな」 ぼそりと呟けば、エリックは困ったように笑い、「まったくだ」と応えたのだった。