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第15話
ジュージューと何かが焼ける音がして目を覚ます。
卵の香ばしい香りも漂ってくる。
いつもは感じることのない音や匂いに、上半身を起こした。
キッチンを見ると、シェルティーの尻尾を生やした男が立っていた。
「マル?何やってんの?」
「あ、ご主人様おはよう。今準備してるから待っててね」
マルは耳をピクピクと動かしながら、片手にフライパン、片手にフライ返しを持っている。
不思議そうな顔で見つめる七緒をよそに、マルは鼻歌混じりに皿の上にフライパンの中身を出して、トースターの中を覗き込んだ。
リン、と高い音が鳴ればパンが焼けた合図だ。
冷蔵庫からバターの箱を取り出し、パンの上に丁寧に塗っていく。
「早く顔洗って来なよ。もうすぐできるから」
「えっ?あぁ、うん」
言われるがまま洗面所に行き顔を洗い、歯を磨く。
七緒は朝が弱い。
まだ半分も起きていない意識の中、寝癖がついた目の前の自分を鏡越しにぼーっと見つめた。
(えーっと、マルは本来犬なんだよな?それなのに何であんな家政婦みたいな事をしてるんだ?)
口の中の泡をすすいで髪を整え、もう一度リビングに戻ってテーブルの上を見た七緒は目を見開かせた。
「一緒に食べよー」
実家で食べていたような朝食のメニューが並べられていて感激する。卵焼きとウィンナー、食パン、サラダ。冷蔵庫にあるもので作ったのだろうけど、普段こんな簡単な朝ごはんでさえも作った事が無い七緒にとって、このメニューはどんな一流のホテルバイキングよりも、ずっとずっと魅力的に見えた。
「凄い、マル、料理出来るの?」
「うん。ずっとご主人様の母親が作ってるとこ見てたからね。分量も焼き加減も完璧だと思う」
「へぇ。っていうか、マルは人間と同じような食事ができるんだね?」
「うん。味覚も人間になった。逆にドックフードは食えねぇ」
七緒はクスクスと笑って、試しに卵焼きをひとつ口に入れてみた。
お、美味しい……!
ほっぺが落ちそうになる。
感動で口を塞いでいると、視界の隅でマルの尻尾がパタパタと揺れた。
「美味しい?」
「お、美味しいよマル!凄いな、犬の時から頭いい子だなぁって思ってたけど、人間になってもこんな事がすぐ出来ちゃうなんて、マルって天才だよ!」
ファサファサファサ……!
その言葉に、マルの尻尾は最高潮に左右に揺れた。
犬のしつけで苦労するという飼い主が多い中、マルは言ったことは直ぐに覚えたし、ワガママもあまり言わなかった。マルって実は何でも出来るスーパーエリートだったんだ、と七緒は目の前に座る男を見つめながら、あっという間にすべての料理を平らげた。
席を立つと、急に手をマルに掴まれる。
「どうした?」
「彼氏、こんな事やってくれないでしょう?」
どことなく含みのある声に、七緒はカーッと顔が熱くなる。
すぐにその手を振り払った。
「やってくれないけど、あっちは忙しいんだからしょうがないよ」
「俺だったらいつでも作ってあげられるよ?後で一緒に買い物行こうよ。今はこんな簡単なのしか作れなかったけど、もっと凄いのも作れる自信はあるよ」
「作ってくれるのは嬉しいけど、だからって彼氏と別れる理由にはならないからな」
「なーんだ」
残念そうに言うマルに、七緒はおかしくなってふっと吹き出した。あからさまにこんな風にご機嫌取りをしてくるなんて。でもそれがマルらしいかも。
七緒の貸した下着と服を着るマルに、部屋のスペアキーを預けた。
「いい?とりあえず渡しておくけど、くれぐれも変な行動はしないように」
「変な行動って?」
「……彼氏の所へ行ったり」
「大丈夫ー。ご主人様以外の人間とあんまり関わるなって約束だから」
本当に大丈夫だろうか、と屈託なく笑うマルを見て少し心配になる。
けれども大学の授業を欠席する訳にも行かない七緒は、後ろ髪ひかれる思いで家を出た。
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