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第28話
頭が少しズキズキすると言うマルの体を軽く洗ってやって、出てから長袖のシャツとズボンを着せた。
「マル、体はだるいか?」
「ううん、ちょっと頭が痛いだけ」
「長時間冷たい雨に打たれたからだな。熱図ってみようか。頭痛薬とか……あぁでも、人間の薬なんて飲ましてもいいんだろうか。もし合わなかったりしたら」
オロオロとして頭に手を当てる七緒を見て、マルはクスクスと笑う。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。俺、ちゃんと元気だよ?」
「ダメだ!お前犬の姿の時だってずっと元気だったのに、急に……っ」
七緒はマルの両腕を掴んだまま、言葉を詰まらせる。
瞳が潤んでいるのには、自分もマルも、ちゃんと気付いていた。
マルに穴が開きそうな程見つめられていると、胸が締め付けられる。
こんな風に胸が痛くなるなんて、今まで感じた事が無い。
戸惑っていた。
マルがいなくなったかもしれない、二度と会えないのかもしれないと悟った瞬間、絶対に手放したくないと思った。
それはどういう意味なのか、まだ今の自分には分からない。
何かこの感情に名前を付けるのならば教えて欲しいと、願うばかりだった。
「好き」
マルの口からポロッと零れた言葉に、七緒はキョトンとする。
「その感情に名前を付けるとしたら、好き、って言葉だと思うよ?」
「え……マル、昼間の俺の声、読み取って無い……?」
早いとこお空に帰りやがれ、とふざけて思ってしまった事を。
「ん?昼間は読み取って無いよ。今は聴いちゃったけど」
ニコニコと笑うマルに、七緒は願う。
ずっとマルがこうやって笑顔でいられますように、と。
七緒はマルの身体を抱き寄せ、手にギュッと力を込めた。
「ご主人様、どうしたの?」
「お願いだから、急にいなくなるなよ」
マルは顔を赤くさせ、パタパタと尻尾を左右に振る。
「ご主人様、俺がいないと思ったら寂しくなっちゃったの?」
「……別にそういう訳じゃ無い。また変な行動してるんじゃないかって心配になるだろ」
七緒の顔が赤いのもマルはとっくに気付いていたけど、あえて何も言わずにその暖かくて不器用なご主人様の胸の中に埋まって、大好きな人のにおいを嗅いでいた。
ふふふ、とマルの含み笑いが聞こえた七緒は、我に返ったように体を離す。
「今日はもう遅いから寝ようか」
「あ、その前に、さっきから気になってた事がある」
マルは冷蔵庫のドアを開けて、そこから白い箱を取り出した。
「ここから甘くていいにおいがする」
「……食べるか?」
「うんっ」
皿にオレンジピールのケーキと、チョコレートムースのケーキを乗せてやると、ファサファサファサ、とマルの尻尾が揺れた。
マルは七緒の予想通り、両手でケーキを持って交互に味わって食べていた。
マルには、七緒の幸せメーターが上がったのが見えていた。
けれどそれをご主人様に伝える事はしない。
幸せを取り戻すという事は、ご主人様の側にいられなくなるという事とイコールだから。
落ち着いて食えよ、と呆れて注意してくる割には、なんだかとっても嬉しそうなんだよなぁと不思議な思いでマルは七緒の顔を見つめていた。
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