31 / 50
第31話
* * *
彼氏が七緒のカフェに現れたのは、マルの看病のおかげで風邪が完全に直った四日後の事だった。
カウンターでいつものようにオーダーされたホットカフェオレをトレイに載せながら、彼氏に声を掛ける。
「あ、あの、あとでちょっとだけ話に行ってもいい?」
「ん?いいよ。一時間くらいはいると思うから」
ニコリと微笑む彼に、少し罪悪感にも似た気持ちを抱きながら「じゃああとで」と頷いた。
あのどしゃ降りの雨の日、ケーキの箱を捨ててしまった事について聞いてみようと思ったのだ。
この間マルに話してみたら、案の定「最低。はやく別れなよ」という言葉をもらった。
でもなにか理由があったのかもしれない。
モヤモヤした気持ちでいたってしょうがないし、付き合っているのだから、このくらい聞いたっていいだろう。
七緒は「清掃にいってきます」ともう一人のバイトさんに声を掛け、二階へ上がり、キーボードをカチカチと素早く打っている彼氏の側に歩み寄った。
「あの」
「……あ、七緒くんお疲れ。バイト中なのに大丈夫なの?」
「うん。すぐに終わるから」
「なに?」
「あ、うん……あの」
途端に口ごもる。
イメージではすんなりと話せると思っていたのに、いざ彼氏の前にくると緊張してしまって言葉が出てこない。
今から言おうとしている言葉がとても悪いことに思えてしまって、手汗を何度もエプロンで拭いた。
「どうしたの。七緒くん、特に用事無いんだったらいいかな?続き早く仕上げちゃいたいんだけど」
不機嫌な声で責められてしまった七緒は、慌てて言葉を紡いだ。
「あ、ごめん、あの、ケーキ美味しかった?」
咄嗟に出てきた言葉は結局これだった。
七緒はごくりと生唾を飲み込み、彼氏の反応を伺う。
彼氏は何を言われているのか分からないといった表情で、ポカンとこちらを見つめていた。
「えっと……ケーキ?」
「うん。ほら、この前俺が渡したケーキ。白い箱に入れた」
「あぁ!あれね。うん、美味しかったよ。ご馳走さまでした」
顔の前で手を合わせる彼氏に絶句した。
嘘を吐かれた事にショックを受けたが、それを悟られないように、こちらもニコリと笑顔を返す。
「それなら良かった。店長の試作品だったから」
「へぇ、そうなんだ。うん、凄く美味しかったよ」
どんな風に?
どんな形だった?
甘かった?
感想訊かせて?
意地悪な質問をしてみようかと試みたけど、そこまでする勇気は無かった。
七緒はお礼を言い、一階へと降りる。
思えば彼は、はじめから嘘ばかりだった。
自分が好きだと言うのも、実は嘘なのではないかと疑わずにはいられない。
気持ちが、徐々に揺れはじめていた。
ともだちにシェアしよう!