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第35話
『……なんだって?』
「本当はケーキ食べてないんでしょ?俺がこの前渡したケーキ」
いつもとは明らかに違う硬い声色の七緒に対し、彼も負けじと不機嫌な声で返す。
『……食べたよ』
「嘘ばっかり。俺見たんだよ、店の二階から。コンビニのゴミ箱にケーキの箱捨ててるところ」
七緒は声を震わせ、瞬きも多く繰り返しながらあの日自分が見た情景を思い返す。
しらを切ろうとしている彼に言い逃れできない現実を突きつけると、相手はまるで開き直ったかのように明るい声を出した。
『ごめんごめん。でも、あんな大雨の日に渡す方が悪いんだろ?荷物もあったし仕方なかったんだよ。それにプレゼント渡されるのとか、ちょっと苦手なんだよね。気持ちが重たいっていうかさ。試作品だったのは知らなかったけど』
「……」
『いい機会だから言っておくけど、メールや電話もあんまりマメにしてこなくていいからね。俺に気に入られようとか考えなくていいから。七緒くんはそのままでいいんだよ?笑ってくれているだけで』
台本に前もって書かれた台詞みたいに、彼は淡々とそう口にした。
――いつからだろう。相手好みの自分になろうと、言いたい事を言わずに呑み込む癖ができたのは。
疑問に思う事があっても、気持ちに蓋をしてニコニコ笑っていればいいだなんて、これっぽっちもいい事は無い。
このまま一緒にいても、お互いを傷付けてしまうだけだ。
七緒はようやく目が覚めたように「あはは」と力なく笑った。
「そうだね。分かった。どうもありがとう」
七緒は一方的に電話を切り、そのまま彼の連絡先を削除した。
どこか清々しい気分になってふと顔を上げた時、息を切らしたマルが視界に入って、ハッとして側に駆け寄る。
「マル、どうしたんだよ」
「ご主人様、大丈夫?」
「え……どうして?」
「ご主人様のにおいが急に変わったから。何かあったんじゃないかって」
犬の嗅覚は人間の100万倍~1億倍もあると言われている。ガン探知犬なんかもいるように、体内の何らかの化学物質をかぎ分けられる能力を持っているらしい。きっとマルは、変質者に会った瞬間の七緒のストレス臭を嗅ぎとってやってきてくれたのだろう。
「凄いなマル。大丈夫だよ。変態なおじさんに会っただけだから」
「えっ、変態?!何されたの?」
本気で心配してくれているマルに、七緒はやっと自分の気持ちに気付いた。
俺をちゃんと見てくれる人は、この世にたった一人、目の前のマルだけなのだと。
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