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第36話
七緒はそっと、マルの頭を手を置いた。
ニット帽の上から、耳を潰さないように優しく撫でる。
「何もされてないから安心しろ。それよりさっきは悪かった。マルに八つ当たりしちゃって。お前の言う通り、他人の顔色ばっかり伺ってる人生なんてもったいないよな」
彼氏と別れを決意した事は口にしないまま、七緒は「帰ろうか」と言ってアパートに向かった。
部屋のドアを開けると、テーブルの上にポテトチップスの食べカスや、あめ玉やチョコの包み紙が散乱しているのを目にして思わず吹き出してしまう。
ここを出て行く前の気持ちとは180度違っていた。
七緒が座るとマルも向かいに嬉しそうに座って、出してあったコップにジュースを継ぎ足して乾杯をした。
「よし。じゃんじゃん食うぞ」
「うん」
夕飯をお菓子とジュースで済ませた二人は、一緒に風呂に入った。
雨で濡れたあの日から、一緒に入ることが習慣になっていた。
マルは犬の姿の頃は風呂は得意じゃ無かったのに、今じゃ張り切って泡を身体中につけて洗っている。尻尾をスポンジ代わりにして七緒の背中を洗うと、くすぐったい、と大笑いしてくれるから嬉しくて、マルはいつまでも洗った。
二人にとって、癒しで大好きな時間だった。
マルは、今日はいつもよりもたくさん笑う。
七緒がいつまでも自分の笑顔を覚えておけるように。
「お前、引っ付くなよ」
「だってベッドから落ちちゃうよ」
「俺だって壁とお前に挟まれて窒息しそうだよ」
「もう、わがままだなぁ」
明かりを落とした部屋のベッドの中で、マルは壁を向く七緒の背中から一旦離れてみたけど、3秒後にはまた元の位置に戻ってピッタリとくっついた。
七緒がため息を吐く声が聞こえたけど、マルは構わず広くてあったかい背中におでこをすりすりと押し付ける。
「マル」
「何?」
「ご主人様の命令だ。今から言う事、ちゃんと聞けるか?」
少しトーンを落とした七緒の声色に、マルは背中を見つめたまま緊張ぎみに「うん」と頷いた。
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