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第41話
会いたい。会いたい。
マルに会いたい。
なんで俺に何も言わずに、勝手に帰ったんだよ。
ちゃんとお別れの挨拶もせずに行くだなんて、あいつは本当に馬鹿な犬だ。
愛しさと怒りの感情を混じらせながら、七緒は瞼をごしごしと擦った。
「わんっ」
間の抜けた声が背後から聞こえて、反射的に振り向く。
「ショックだなぁ。さっきのシェルティーは女の子なのに、俺と間違えるだなんて」
滲んだ涙で目の前の人が何重にも見えていた。
七緒は慌てて涙を拭ったけど、驚きのあまり涙も引っ込んだようだ。
「え、ま、マル……?」
「どう?似合う?」
「お前、耳、どうした?」
マルはニヤリとしたまま、両耳を引っ張った。
けれどそれは犬の耳では無い。
七緒と同じように、頭ではなく顔の横に人間の耳が付いていた。
状況が全く把握出来ずにキョトンとする七緒に、マルは空を仰いで口を開けて笑った。
「ビックリした?ご主人様。待たせちゃってごめんね」
「な、何がどうなって……」
視線をマルの下半身へと滑らせる。
尻尾を隠すためにいつも太めのズボンを履いていたのに、今日は体のラインに添った細めのズボンを履いている。その中に尻尾を隠しているとは到底思えない。
「俺、犬やめてきたから。これからは人間として、ご主人様の傍にいる」
「はぁ?犬やめたって……」
「犬神様と殴り合いの喧嘩してたらこんなに遅くなっちゃった。ごめんね?」
先っぽがお辞儀するふさふさの耳は付いていないけど、そのふざけた言い方は間違いなくマルだった。
鼻をすする七緒にマルは近づいて頭を撫でる。
「泣き虫だなぁ、ご主人様は。やっぱり俺がいないとダメだね」
「……お前、ほんとに人間になったのか?」
「なったよ。耳が生えてた頃のマルだった俺と関わった人間の記憶は、犬神様が消してくれた。今日からは新しい俺としてみんなと生活していく。俺の人間としての新しい名前は、丸井 怜緒 だ」
「……れお?」
「ちゃんと住民票もあるんだよ?あとご主人様とは幼なじみで、アパートの同居人って事になってるから。犬神様の計らいで、怜緒の緒は、ご主人様と同じ字にしてくれたんだよ?」
得意気に言うマルに、七緒は思わず吹き出して声に出して笑った。
ますます涙が出たけど、これは笑い涙なんだと自分に言い聞かせた。お腹を抱えながら笑いが止まらなかった。
「丸井怜緒ってお前……」
「カッコよく無い?」
「……いや、カッコイイよ。マルは凄くカッコイイ」
七緒はマルを抱きしめた。
耳も尻尾も無い、人間の姿をしたマルの事を。
「大好きだよ、マル。ちゃんと伝えたかった」
「うん。俺も、ご主人様が大好きだよ」
二人はどちらからともなく顔を近づけてキスをする。
七緒がマルの下唇を少し吸ってから離すと、耳まで真っ赤にしたマルと目が合う。マルは照れながら、何度も瞬きを繰り返していた。
「凄いねっ。キスってこんな感じなんだ」
「お前……」
七緒もカーッと顔を赤くさせて視線を外す。
「とりあえず、アパートに帰ろう」と言って、七緒はマルの手を引いた。
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