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最終話
* * *
洗濯機から出した衣類を干しているマルに、七緒は声を掛ける。
「今日はバイトだから。夕飯は適当で大丈夫だよ」
「あぁそう。分かったー」
一緒に住むことになった二人の役割分担は、最近決めた。
マルが好きなのは、朝こうやってベランダの窓を開けて陽の光を浴びながら洗濯物を干す事と、七緒の為に作る料理。
マルが今している深緑色のギャルソンエプロンは、七緒のカフェで昔使っていたもの。
もう使わないからと、店長がマルにくれた。
二人は何度か、客としてカフェに行っている。
店長は犬の姿だった頃のマルと話した事は全く覚えていない。七緒の幼馴染みの怜緒として、マルに接している。
「実はね、俺もバイト決まったんだ」
「え、そうなのか?どういうバイト?」
「飲食店。今日からだから、俺も遅くなるかも」
「そっか。良かったな、無事に決まって」
マルはひとりの人間として自立するため、七緒に頼ってばかりはいられないと、数日前から仕事を探していた。
人の心を読み取れる不思議な力も、犬の嗅覚も全部無くなって、極普通の……七緒の事が大好きな極普通の人間になったのだ。
「じゃあいってきます」
「うん。いってらっしゃーい」
唇をつきだすマルに、七緒はいつもみたいに、触れるだけの軽いキスをする。
出掛ける時には必ずキスをするという決め事を作ったのはマルだ。
「新婚みたいな決め事だな」とはじめは呆れたけど、いつの間にかこうしないと気が済まなくなっていた。
歩きながらふと空を仰げば、そこにはぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
まるでマルとはじめて出会った日の空のようだった。
学校終わり、カフェの水色のドアを開けて目に飛び込んできたのは、髭を生やしたダンディーないつもの店長と、まるで子犬のように愛らしく笑う、店のエプロンをつけたマルの姿だった。
キョトンとしたままの七緒に、店長は含み笑いをしながら声を掛ける。
「七緒くん。この子、今日からアルバイトで入ることになったからよろしくね。丸井怜緒くんって言います」
「よろしくお願いしまーす」
確信犯の二人に駆け寄り、笑って文句を言う。
なぜかマルの指導をお願いされてしまったので、ため息を吐いてマルをバックヤードに連れていった。
「言っとくけど、ここでは先輩後輩だからな。ふざけて遊んだりしてたらすぐに怒るから」
「ふざけてって、例えばこういう事?」
急にマルに引き寄せられ、頬に軽くキスを落とされる。途端に七緒の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
というのも、バックヤードの小窓からこちらを覗く店長とバッチリ目が合ってしまったからだ。
「あ、安心して。店長は知ってるから、俺たちの関係」
「はぁっ?お前、何勝手に喋って……」
「言わなくても、店長はとっくに気付いてたよ。ご主人様が俺をここに連れてきた時から、なんとなくそうじゃないかって思ってたって」
「えっ!な、何で」
「ご主人様の俺を見る目が、他人とは全然違うらしいよ」
ちら、と視線をもう一度小窓に移してみたが、そこにはもう店長の姿はなかった。
そんなに分かりやすいのか、と頭を抱えていたら、マルにもう一度素早くキスをされてしまった。
「おい……」
「これから宜しくねっ」
屈託なく笑われると、やはり怒る気力なんて失せてくる。
バイトが決まったお祝いに、今日もたらふく甘いものを食わせてやろうかと困ったように笑いながら、七緒はマルの頭を撫でた。
「宜しく」
――末永くな。
口にすると調子に乗るから、言わないけれど。
fin*
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