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第20話 -4

 九条悟志。ヤクザの息子であること以外はただよく寝るだけの普通の男だと思った。そう思いながらも、何故か眺めてしまう。  放課後は会いたいと言っていた彼女を迎えに行くことも忘れ、ホームルームが終わり出て行く彼を追いかけてしまった。  一週間前から雨の予報だったのに傘を忘れたのか、九条は昇降口で立ち尽くしていた。  話しかけてみるチャンスかもしれない。そう思いながら、時雨は九条に声をかける。 「傘忘れた?」 「……迎えの、車に」 「おっちょこちょいだな。折り畳みも持ってきてるし俺のビニ傘使っていいよ。明日傘立てに入れといてくれればいいから」 「悪いから、いい」 「気にすんなって。じゃあな」  ビニール傘を押し付け、鞄の中に入れていた折り畳み傘を取り出して九条の横を通り過ぎる。振り返らないまま人波を潜り抜け、最寄りの駅まで駆けこみ漸く一息。  存外低い声だった。真っすぐ視線を向けられ戸惑った。  誰よりも綺麗だと、思ってしまった。  小さい傘で濡れた肩が少し寒い。電車に乗り込み暖房にほっとしながら自宅のある最寄り駅まで揺られながらもずっと九条について考えてしまう。  自宅に帰ってからもちゃんと傘を使ってくれただろうか、雨に濡れていないか考えてしまう。濡れた制服をハンガーにかけベッドでゴロゴロと転がっていると、玄関の鍵が開き兄が帰ってきた。  何処で何をしているかも知らない、クズな最低の男。 「嗚呼、帰ってたのか」 「……今更何しに帰ってきたんだよ」 「実家に帰って来るくらいいいだろ」 「お前、今何してんの。母さんに負担かけんなよ」 「自分で金も稼いだことないガキが一丁前に説教かよ。何って、お前こそババアから何も聞いてないわけ?」  ニヤニヤと笑いながらの言葉に嫌悪しかない。心の底から本当に嫌いな男だ。その言い方にカチンときながら、早く答えろと視線だけで問う。  兄は笑いながら腕の上着を捲った。そこには少し前まではなかったはずのカラフルな絵。 「俺もうヤクザだから。悪いな、お前公務員にはなれなくなったわ」 「いや、もうそれは目標じゃないからいいけど……ヤクザって、九条組?」 「おう」  なんて偶然だ。  彼のことを知っているかもしれない。時雨は兄を見上げた。 「く、九条悟志って、若頭って本当なのか?」 「あー、オナホ野郎のことか。そういや高1だっけ、お前と同じ学校入ったのか」  オナホ? そんな言葉で呼ばれている意味がわからない。眉間に皺を寄らせると、兄はケラケラと笑った。 「あいつ、実の父親に抱かれてんだよ。父親の機嫌とってケツ振ってちんこ咥えて女みたいに喘いでんの。お前も頼めば抱かせてくれんじゃね、童貞卒業させてもらえよ」 「……童貞じゃないし」  褒められた話ではないが、中学の頃にとうに卒業している。兄からの質問にはスルーを決め込み、考え込んだ。  あの艶っぽい女らしさはそれが理由なのだろうか。  頼めば、抱かせてくれるかもしれない。その言葉に生唾を飲み込んでしまう。あれが、自分の下で表情を歪ませ、嬌声を漏らす様を想像してしまった。  同級生相手になんてことを。そう思いながらも、こびりついてしまったそれはじわじわと蝕んでいく。  一目惚れ、なのかもしれない。でも、男を好きになったことは一度もない。告白されたことはあるけれど、それに応えたこともない。  自分から告白なんてダサいことしたくないし。これが恋だと決まったわけでもないし。  でも、あの顔を抱けるなら抱きたい。……かも、しれない。

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