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第21話 -7
「ついて来なくていい」
来るな、と言えばいいのに。何処までも優しさが滲む言葉に、時雨は敢えて聞かなかったことにして車椅子のハンドルを握った。
「何処で食う予定?」
「……お前には関係ないだろ、1人で食うんだから」
「えー? あんなに寂しそうな顔してたのに」
あの事件があってから、無表情に磨きがかかっている悟志の表情筋は1ミリも動いていなかったがそんなことを言ってみる。
悟志は反論を言い淀み、それが事実であると言外に教えてきた。
「体育倉庫と、図書室の間の階段」
「おっけー」
嗚呼、可愛い。好きだ。時雨は相貌を崩したまま悟志の望む場所まで連れ出した。
体育倉庫と図書室の間に少しだけ隙間があることは知っていた。なんでも改修工事を行った際に倉庫と通路を新しく増やしたためにその階段は使われなくなったと。
屋上といいこの小さな階段といい、悟志はどうしてそこまでこの学校について詳しいのだろうか。
車椅子から階段に移動するにあたり、悟志はふらふらと力なく立ち上がり、半ば崩れるように階段に腰を下ろした。まだ、ちゃんと歩けるようにはなっていないようだ。
「俺も座っていい?」
「……昼飯食わないといけないだろ」
「いやあ、早弁しちゃって購買行かないとなんだけど今金欠でさ」
「……貸さないぞ」
「すぐ返せないし借りないよ。隣座るな」
たった一言帰れと言われれば帰るのに、悟志は言わなかった。時雨は車椅子を畳み、その隣に腰掛ける。
「足、まだしんどい?」
「傷はない。ただ歩けなくて腹は立つ」
「そっか。……あー、やっぱ駄目だぁ」
こうして普通に話しているだけでも欲が溢れる。触れたい。ずっとこうしていたい。
自分の所為でこうなったんだからと諦める覚悟はできていた。それなのに、まだ実行に移すことができていなかった。
鞄から弁当を取り出したところで時雨の様子になんだと訝しげな表情に変わった悟志の頬を、人差し指の背でそっと撫でる。
「助けられなかったどうしようもない男だって自分でもわかってるんだけど、俺やっぱ九条と一緒にいたいよ。駄目かな」
「……だから、お前は」
「悪くない、でしょ。……俺が悪いって思わないと、俺九条のお父さんのところ行っちゃいそうだよ」
ヤクザの組長に直接何かを言うなんて度胸ないし、実際お前のせいだなんて特攻できるとも思っていない。けれど、自分が悪いことにしておかないと、この怒りを何処にぶつければいいのかわからなかったから。
悟志は、何か迷いながらも辿々しく口にした。
「お前じゃない、他の奴が悪い。……俺の携帯に細工をして、俺がいる場所をあの男に教えてた奴がいる。……だから、お前のせいじゃない」
スマートフォンなんて肌身離さず持ち運ぶようなものに細工なんて、そう簡単にできるわけがない。
だが悟志だ。元々使い方もよくわかっていなかったのなら手元になくても気にしないことだって多いはず。その隙に、何か細工をされていたとした。
本当に、自分の、……自分の兄の所為ではない?
「ほんとに?」
「こんなことで嘘を吐いてどうなる。……最初にそれを言わなかったのが悪いって、市倉達にも言われた」
ただ頑なに悪くないとだけ言われ続けても納得できるわけがない。
だから、悪かった。
悟志の言葉に、時雨はじゃあ、と言葉を漏らした。
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