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ニヒルに笑う

 ガラス越しに見る猩々緋はあの時、あの薔薇園で見た美しい男ではなかった。造形こそは変わらないものの、艶やかだった黒髪は光沢を失い、顔色も悪く、目の下には隈を張っていた。  しかし、俺を見つめる目の光だけは失われておらず、俺は鋭く射貫かれているような気分になる。 「…随分元気がないようだな、猩々緋」 そう声を賭けると、猩々緋は少しばかり嬉しそうに笑った。 「もう先生って呼んでくれへんの?」 「……俺もアンタもあの悪夢から目を覚ましたんだ。忘れろ」 初っ端から触れられたくない話題を振られ、怯む。あの夢は現実ではないとわかっているのに、実際あってもおかしくなかった。そう思うとやはりもう二度とみたくない。 「私にとっては悪夢ちゃうけど」 猩々緋はニヒルな笑みを浮かべた。やはりこの男は苦手だった。価値観も、考え方も一切違う人間。わかりあえるような相手ではない。一枚ガラスを隔てているとは言え、1mも離れていないところに相手がいるのは、怖いものだ。 「いやあ、それにしてもあの男にはしてやられたなあ。君、あの男の恋人かなにか?」 「あの男…?」 「シビュラ国第3王子、トーカ・オウシュウ。今は、第七師団団長トーカ殿とでも言った方がええか?君はなにも知らんようやけど、アイツはえげつないで。私の夢の中なんて、圧倒的不利な状況で乗り込んでくるんやからな」 突然あの俺様の名前を出され、動揺するも表情を変えることはない。 「夢に乗り込んでくる…?他人の夢に出入りできるってことか?」 俺が疑問を口にすると、猩々緋は簡単に答えをくれた。 「あの男は自分の繭の中に入って、願ったんや。『君を助ける夢』を見るように。夢は不思議なもので、人間の深い深い思考の海の奥底の部分や。それを制御するなんてしようとすればするほど、現実と夢の境目がわからなくなってくる。…私は私にとって都合の良い夢を見ようとした結果、私とともに繭に呑み込まれた君は、私の夢の中に閉じ込められた」  つまり、猩々緋にとって都合の良い夢は、トーカの言うように… 「そう、君が考えている通りやで。私は君を連れ去りたかった。結局は君の王子様に奪われてしまったけど」 「そんな馬鹿らしいことのためだけに、蟲毒を利用し羅紗を造り出したのか」 「馬鹿らしいことやないよ」 猩々緋は先程まで浮かべていた笑みは消失し、その強い力でこちらを見つめてくる。柔らかい口調なはずなのに、言い返すことができなくてこみ上げてすらいない言葉を飲み込む。 「君の言う『馬鹿らしいこと』のためだけに私はこれだけ手をかけたというのに…。それをあの男に易々と邪魔されるなんて…計算外やったわ」 ダンッとガラスが音を立てて揺れる。 「……アンタはなんでそこまでできるんだ」  先程までは、こんな俺を連れ去りたいなんてことのためだけに、たくさんの犠牲者を出したなんてと怒りが湧いていたはずだった。それも、俺が理由なんて。  それなのに、今ではこの男に興味が向いている。俺はなんて酷い人間なんだろう。  誰にするまでもない言い訳が頭に浮かんでは消えていく。この世界に来る前も、来た今も、俺は自分がなんのために生きているのか、わかっていないのだ。  この男がどれだけ酷いことをしたかはわかってるのに、俺はこの男が自分の人生を懸けることができたのか、気になって仕方がない。国民を捨ててまで、これほどまでのことをできたのか、俺には想像もつかなかったのだ。 「君たちは家族はいたって普通の家庭だった。裕福ではないが、子供は三人いる。父は物流会社に勤め、母は飲食店のパートをする。父は酒を飲むと少し性格が変わるけれど、普通のどこにでもある家庭のはずやった。 だけど、ある日母は君に言った。『子供ができた、これ以上養えない』 君の母は、心に余裕がなかったはずや。長男の君につい言ってしまった。そしてその愚痴は日に日にエスカレートして…」 「『あんたを産まなければ、お腹の子供は祝福されて生まれてくるはずだったのに』」 するり、と自分から口から言葉が零れた。まるで自分の身体が自分のモノではないように錯覚した。今までずっと思い出さないようにしていた記憶が鮮明に蘇る。ゆっくりと、俺の記憶を紡いでいく猩々緋の言葉が頭の中で飽和していく、そんな感じだった。  そして、猩々緋は物語の最後を続ける。 「でもな、君は知らんかもしれんけど、そのお腹の赤ちゃん、生きて母親の腹の中から出てくることはなかったんよ… …そんでな、その赤ちゃん、私なんよ」    まるで幼児が母親にナイショバナシをするようだった。  猩々緋はニヒルに笑った。

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