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風を切って走れ

 寒い寒い夜が明け太陽の光が射すとある日の朝のこと。四季のないシビュラに、歴史的な大寒波が国を覆った。雪が降り、すべてを凍りつくしたその寒さに見回りの守衛はくしゃみをひとつする。  シビュラ国の城の前に、今にも消えそうな命がひとつ。見回りの守衛により、城の運び込まれ、助けられたその命は生後一か月にも満たない小さな小さな命だった。  城の主であるブラン・オウシュウはその小さな命を見て、吃驚した。その雪に染まるような金の髪には見覚えがあったのだ。  その赤子を助けた守衛から渡されたのは小さな紙切れで、そこに書かれていたのは、見覚えのある筆跡で一言『ごめんなさい』とだけ。  ブランの隣には愛している妻が寄り添い、その腕の中には愛息子。その昔、自分がかつて愛した女性の姿が脳裏に過り、きっとこの小さな命は彼女の子供であるのだ、と本能がそう言っていた。  ブランは、過去に愛した女性の面影をこの赤子に重ねる。忘れていたつもりだったのに、「どうして、君はいなくなってしまったのだ」というかつての想いが蘇る。聡明な妻は、自分の過去を責めることなく、静かにブランの話に耳を傾けた。  彼女は、「この子は私たちで育てましょう」と言った。ブランは手にした紙切れを目に焼き付けてそれを暖炉の火の中に入れ、燃やしてしまった。  その日は雪が降り、太陽が眩しいほどに光射すとても美しい日だった。  そして、城に新しい家族が一人増えた。数年後には、捨て子だった彼にも年の離れた弟ができ、自警団の団長として自ら戦に出向くようになる。  彼の名前は、『トーカ』。雪に染められた金の髪を靡かせて、蒼い空を映したような瞳が鋭く敵を睨みつける。その鬼神のような立ち回りは敵、味方ともに恐れられ、第七師団団長として名を馳せた。 *  さっきまで隣にいたはずの仲間が死に、目の前の敵をなぎ倒していく。風を切って走り抜ける自分のスピードについてくる人間は誰ひとりとしていない。  それならば、仲間の弔い花束を手にするよりも自国の勝利をこの手に。神の救いを願うくらいならば、走り抜けた先にあるものに確信を。  仲間の死も、敵の死もすべて背負って、祈りも弔いも穢れも俺が持っていく。  助けなどいらない、虚勢などではなく事実だった。仲間のため?自分のため?綺麗事も、本音も関係なくただひたすらに突き進んだその先が見たかった。周りのことなど、見えていなかった。  大国であるシビュラが厳しい状況に置かれたこともあった。それでも、前に進んでいくことには変わりない。荒野に爆風が吹き荒れ、死体の上を駆け抜ける。  そんな最中、子供を見た。おかしな恰好をしたヤツだった。  目の前の襲い掛かってくる人間に怯え、為す術もない子供。自分が進む軌道上邪魔だった、ただそれだけの理由で結果的に子供を助けた。  一度助けたというのに、またすぐに死なれるのも腹が立つ。ただそれだけの理由で子供を抱えて自陣営へと戻る。すぐにまた戦場へと戻ろうとした時に、その子供に手を握られた。  その穢れも死も何も知らない無垢な手が、自分の穢れを知る手を掴んでいる。疑うこともせず、愚直に助けを乞うその目が眩しかった。  掴まれた手を解き、俺は振り返りもせず戦場へと走り出す。それでも俺の背中が少しだけ軽い気がして、思わず口角が上がる。   「自分に『帰る場所』ができたみたいってか…?おもしれえ冗談だ」 そう言って、またいつものように誰よりも速く先へと進む。  あの時出会ったのが、その子供じゃなかったとしても同じことを思ったのかもしれない。きっとこの出会いは運命などではないとわかっている。そもそも運命など信じているわけがないのだ。神になど自分の人生を左右されては堪らない。  ただ、その黒いオニキスのような目に自分が映る、酷く気分が高揚する瞬間だ。  子供は「シキ」と名乗った。このぐちゃぐちゃで綯い交ぜになった感情を、この小さな身体に背負わせている。  俺は初めて、自分を酷い人間だと思ったのだ。

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