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第六章・俺は未来圏から来る風を知らない
水曜日は二限から授業がある。確か、日本国憲法だった。二限からの授業であれば、朝に大分余裕が生まれる時間なはずなのに、俺は急いでいた。実家から俺の通う大学まで、片道一時間半。一人暮らし勢が羨ましいと考えるのは、今更感がある。
教室のドアを開けるとすでに先生が教壇に立っており、こちらを睨んでいた。まだ授業開始一分前なのだから、そんなに怒らなくてもいいのに。視線を彷徨わせていると、久賀(くが)が小さく手を上げ、呼んでいる。
大学の教室の机は、6,7席が連なっており、久賀はその端に座り席をとっていてくれたみたいだ。メッセージアプリで「遅れるから席とっておいてくれ」と言っておいてよかった。久賀は立ち上がり、一つ奥の席にずれてくれた。
「おう遅いじゃねえか」
そう言って意地悪そうに笑う久賀に俺はリュックから授業の道具を出しながら、「おー」と応える。
「寝坊か?」
ふと先生の視線を感じ、前を向くとめちゃくちゃ睨まれている。空閑の質問を無視し、机の上を整理していると久賀はまだこちらを向いてニヤニヤとしている。おい、馬鹿。怒られるぞ。
「お前、今日の合コン俺の代わりに行ってくんね?今日近くの女子大の子たちが来てくれるみたいだぜ?」
「…俺はそういうのは行かねえっつってんだろ。お前が最初から断ればよかったんだから、俺にそれを振るな」
どうせ酔った勢いで、合コンの誘いを承諾しただとか、断りきれなかっただとかそんなところだろう。コイツはいつも気分で話をするのだ。
久賀という男には、男の恋人がいる。きっとそれを知るのは、この大学の中であったら、俺だけだろう。イケメンで遊び人の匂いがする久賀の周りには、男女問わず人が集まる。そんな男がなによりも優先するのは彼氏さんだというのだから、隅に置けない男だ。
「頼むよ、今日約束してんだよ…牧先生と」
小声で俺に懇願する内容に卒倒しそうになる。久賀の恋人である牧先生とは、この大学の教員だ。久賀の彼氏は俺が所属するゼミの先生でもあるため、どういう人かというのも知っている。
あの物腰が柔らかくて、優しい人とこのザ・チャラ男といった感じの若造が何故付き合えているのかは謎ではある。俺も牧先生にはかなりお世話になっているし、先生を持ち出されると断りにくい。
「お前今日バイトないだろ?な?頼むよ、今度昼飯奢るからさ」
なんで俺のシフト知ってんだよ、と言おうとすると講義中の先生から「うるさいぞ!」と怒鳴られた。そこまでうるさくなかったと思うが、この先生はかなり神経質な人なので喋っていた俺らが悪い。「すんません」と頭を下げると、鼻を鳴らされた。
隣を見ると、久賀は頬杖をついて明後日の方向を見ている。おいお前のせいだろ、ふざけんな。
横腹に思い切り肘を入れた瞬間、久賀が「イ”ッ!?」と声を上げた。うるせえ。黒板に呪文のような文字を書いていた先生がグリンッとこちらを向いて物凄く睨んでいる。俺は素知らぬ顔をして、ノートに視線を向けた。
隣からの強い視線を感じたが、俺は無視をする。机の下で携帯を操作し、メッセージアプリで久賀とのトークルームを開き、メッセージを送る。
『月見屋のラーメンセットな』
すぐに既読がついて、メッセージが返ってきた。
「明日な!」
そのすぐあとに、かわいらしい猫のスタンプが送られてきて俺は小さく笑ってしまった。片を震わせていると、今度は久賀が軽く肘でついてきた。
俺は今日寝坊した原因の悪夢のことなんか忘れて、眠い目をこすりながらノートをまとめていく。本当は次の授業にでたら、さっさと家に帰って読み溜めていた小説たちを消化しようと思っていたのに。
しょうがない。俺は、尊敬する先生のためにこの身を捧げるしかないのだった。
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