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月に隠れて

「子規君、ちょっといいかい…?」 久賀の別荘にて過ごすことになってから五日目の夜。先生が俺の部屋を訪れた。  先生は、久賀と同部屋でいつも寝ているのに良いのだろうか。ふたりが一階の大きなベッドがある寝室を使い、俺は二階の大きな窓のある部屋で寝ることになっていた。  久賀にバレたら浮気だと疑われないだろうか、と不安になりつつも、なにもしなければいい話だ、と部屋に通し椅子に座らせる。 「どうぞ」 「ありがとう」  満月が部屋を明るく照らしている。レースカーテンから差す淡い光は寝るには眩しいほどだった。 「どうしたんですか、先生。久賀に怒られません?俺が」 「リン君は寝てるよ」 そう言って微笑む先生の意図が汲めない。しかしそれはいつものことで、昔からそうだった。  先生はしばらく黙っていた。きっと先生が俺の部屋を、しかも久賀が寝ている時にわざわざ訪れるなんて、俺に話したいことがあるはずだ。言いにくい内容なのだろうか。俺は先生の側にも寄らず、少し離れた椅子から先生の様子を伺った。  すると、先生がやっと口を開く。 「ごめんね、君に話したいことがあったんだけど…上手く伝わるかわからなくてね」 「先生がそこまで考え込むほど、難しい話なんですか?俺に理解できるかな」 俺は笑ったが、先生は笑わなかった。 「わかってくれないと、困るんだ」  月光に包まれた部屋に静寂が灯る。深呼吸をひとつした先生は、いつも浮かべている笑みを消して、真っ直ぐな目で俺を見る。その目は俺があの世界で見てきたものと同じだった。 「僕が前にした話を覚えているかな」 「…この前のって言うと、パラレルワールドの話ですか…?」 思い当たるものを口にするとどうやら当たりだったらしく、先生は深く頷いた。 「僕はこういう話をしたね、『君たちが正真正銘自分であることを証明できるだろうか? もしかしたら、違う世界の住人だったという可能性もあるかもしれない。それを君たちは否定しきれるかい?』と」 俺にとってはタイムリーな話すぎる。 「…その話は、パラレルワールドに住む自分と入れ替わってしまった人のものでしたよね」 「それも、ご丁寧に記憶まで交換されてしまうものだ。  パラレルワールドなんてほとんど都市伝説だ。しかし、パラレルワールドは実在する。少なくとも、先生はそう考えている。なぜならしっかりと根拠があるんだ。この根拠は後で話そうか、この根拠は副題にすぎないからね。  僕はパラレルワールドに行ったことがあるという人間の話をいくつか聞いたことがある。さっき話した「入れ替わり」は、言ってしまえば『中身』だけパラレルワールドに行ったということになる。しかし実際には『身体ごと』パラレルワールドに行ってしまう場合もあるわけだ」  俺が12歳の時に今までいた世界から、パラレルワールドであるシビュラが存在する世界にトリップしてしまったというのが、実例として上がられるだろう。  先生の言葉を借りれば、俺は今現在は「中身」のみ世界線超えてしまったということになる。 「本来の身体の持ち主の記憶は引き継がれ、トリップした本人はトリップしたこと自体に気付くことが遅れる、もしくは気が付くことができないんだよ。  それでもいつかは気が付くんだ。異常が起こった脳が少しずつ思い出させるんだよ。本来の自分の記憶というものを」  俺も、そうだった。先生はまるで自分も体験したようにリアルをもって語る。 「ねえ、子規君。君は、本当に『東雲子規』かい?」 なあ、東雲子規よ。俺が感じるこの感情は全部お前のものなんだろう?  そうだって言ってくれよ。

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