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第4話

 ハワードがトランクを開けたとき、ミラーの意識は完全に戻っていなかった。墓地でミラーを拉致してからハワードは車を自宅へと走らせた。時間にして三十分にも満たない。  ミラーが覚醒している場合を想定して強力なスタンガンを用意しておいたが、使うには至らなかった。トランクの中でミラーは小さくなり、窮屈そうに足を縮めていた。半開きの口からはだらだらとよだれがこぼれている。大きくくぼんだ両目がぎょろりと動いたが、それはハワードを捉えておらず、ただ見開かれているだけだった。  ミラーを抱えてハワードは自宅に入る。半世紀以上生きたミラーの身体はやけに軽かった。ハワードはリビングを突っ切り、一番奥にある扉に手をかけた。その中は薄暗く、慣れた者でなければ一歩踏み出すのを戸惑ってしまうだろう。ハワードはミラーを抱えながら壁伝いに歩き、やがて地下へ降りる階段に足を踏み入れた。  地下室へ降りたハワードは手始めにミラーを拘束する手錠とむき出しになっている配管とを鎖で繋いだ。それから彼の衣服をはぎ取り、何も武器がないことを確かめた。ミラーは老いていた。八年という年月はハワードだけではなく、当然ミラーにも流れていた。それだけの時を要したが、連続殺人鬼、J・ミラーをこの手で捕らえたことをハワードはようやく実感し、小さく笑みを浮かべた。  ミラーが完全に意識を取り戻したとき、ハワードは水が入ったペットボトルを手に地下室の扉を開けていた。ハワードは身構えた。ミラーが配管に背を預け、悠然と両脚を組んで座っていたからだ。 「おはよう」  紳士の顔だ、とハワードは思った。鎖に繋がれたり、衣類をはぎ取られたりすることは、ミラーにとってなんでもないことのようだった。  ハワードに挨拶をしたミラーは彼を見たままにっこりと笑った。「それとも〝こんばんは〟というべきだったかな。今は何時だい?」 「四時だ」  簡潔にハワードは答えた。 「そうか。ありがとうハワード刑事。君の家に招待してくれて」 「どうしてわかった?」 「君がすっかり安心しきっているからさ」  ミラーはハワードを見つめたまま、口元だけ素早く動かした。 「これでも君の行動範囲はわかっているつもりだよ。トランクの中で私は時間を計り、道筋を思い浮かべた。君は焦ったはずだ。激情に任せて私に暴行を働いたからだ。君は真っ先に現場に飛散した私の血を懸念しただろうが、後始末をしている間に私を逃がすことのほうが避けがたかったのだろう。私なら冷静に対処するが。相棒を連れずに私を呼び出したのは自分の手で私に制裁を加えるため。君はこのときを待ち望んでいたのだろう。幸せなことだ。君は君にとって安心できる場所で私を殺すに違いない。それが自然なことだから。君はひとりで抱えこむタイプだから私をいたぶる場所は十中八九、君の自宅だ。ジェニファーとジャックの遺体発見現場の寝室は二階だが道路側に面していて安心とは言いがたい。これから人を殺そうとするハワード刑事にとってはね。そういえば階級は警部補のままだったね。てっきり降格したと思っていたよ。かつて君の家を下見したときに地下室の存在に気づいていた。だが私は鍵を作れなかったのだ。鍵穴は常にふさがれているし、合い鍵もないし、本体は君しか在りかを知らなかったのだから。それにさほどの興味もなかった。君でさえ出入りしない地下室に遺体を放置したところで発見が遅れるだけだ。劇的ではない。本筋に戻そう。私の記憶はトランクの中で一度途絶え、君に運ばれているときはぼんやりとした景色しか覚えていない。私は暴力が嫌いなのだ。傷の痛みにうなされ、私はまた意識を失った。そうして次に気がついたら、ご覧の通り、全裸で犬のように鎖に繋がれていたわけさ。違うな。私の悪い癖だ。高揚すると話がそれてしまう。さて、私がこの場所を君の家の地下室だと考えた最大の理由は君の匂いが嗅ぎなれたものに変わっていたからだ。この地下室を最後に使ったのはいつのことだい? 多少は掃除をして換気もしただろうが、それでも埃が積もっている。私を繋いだとき、君は膝をついたに違いない。私の周囲に私以外の人間の痕跡が残っているからねえ。それなのに今いる君のスラックスには埃ひとつついていない。プレスするほど君が几帳面だとは思わないが、それでも、清潔なものだ。私を繋いで安心して自分を見る余裕ができたのだろう。私の返り血がついていることに気づいたのだな。君はシャワーを浴びて、真新しい服に着替えた。整髪剤の代わりにシャンプーの香りがするから決定的だね。私は鼻がいいのだ。知っているだろう、ハワード刑事」  鼻腔を広げ部屋中の匂いを吸いこんでみせたミラーは部屋が発するあまりの不潔ぶりに紳士らしからぬくしゃみをした。

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