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第5話
「失礼。それで何がしたい」
「……何が」
ミラーの早口な指摘に圧倒されたハワードは彼の話が自分に向いたことにしばらく気づけなかった。
「この私を殺さずに生かしたまま捕らえたのだ。君は私をどうしたいのだい?」
「……俺はお前を殺す」
ハワードは自らの目的を再確認し、標的に低い声で告げた。扉を閉めたハワードは一歩ずつミラーに近づいた。ハワードとの距離が縮まるごとに視線を合わせたままのミラーは顔を上げていく。ミラーもハワードから目を離さない。視線をそらしたほうが負けだと思った。
ハワードは部屋の隅にあった丸椅子を運び、それをミラーの目の前に置いた。当然鎖に繋がれている彼は座れない。ハワードがどかりと腰をおろすとミラーは再び口を開いた。
「私を捕らえた君に敬意を表そう。君には本当のことを話す。君の疑問になんでも答えよう」
「ミラー。お前に良い話と悪い話がある」
「せっかくだから私をマイケルと呼んでくれよ。私も君をクリスと呼ぶから」
「J・ミラー。お前をすぐに殺すことはしない。これが良い話だ」
「君は優しい男だね、クリス」
「楽に死ねると思うな。これが悪い話だ。俺はお前を何度殺しても殺し足りない。お前を殺したところでジェニーとジャックは帰ってこない。だからお前が完全に死ぬまで、何度も痛めつけるから覚悟していろ」
「私は呼んだのに」
ミラーは肩をすくめた。
「私たちは仲良くなれそうにないね。残念だ」
「お前は口だけの男だ。わかっている。嘘をつくことにまったく抵抗がない。ミラー、俺にとってもお前にとっても良い提案がある。お前が真実を述べるごとに、この部屋の環境をひとつ整えてやる。俺は優しい男なんだ」
「感動で涙が出そうだ。いいだろう。君の提案に乗ろう。さあ何でも聞きなさい。私が答えたあかつきには、そうだなあ、まずは清潔なマットレスを用意してもらいたい。劣悪な環境に寝そべることは耐え難い苦痛なのだよ」
「お前が標的を選ぶ基準は何だ?」
ハワードはまずそれを聞いた。本当はもっと核心にせまる事柄を聞きたかったがミラーが真実を語る確証はない。
ミラーもまたつまらなそうにため息をついた。
「それを聞いてどうする? 朝起きてなぜ歯を磨くのかと尋ねているようなものだよ。だが私も優しい男だから答えてやろう。私の視界に彼らが入ったからだ」
「たまたま目についただけで妻と子を殺すのか?」
「ああ、先に断っておく。君の家は別だよ、クリス。君が私を見たから。だから坊やと母親を殺した」
ミラーがはっきりと〝殺した〟と口にしたのは初めてだった。
「もちろん君が刑事だからというのも理由のひとつだが、それはたいしたことではない。捜査の過程でJ・ミラーの犯行手口はわかっていたはずだろう? 被害者たちの殺害時刻。次の犯行までの大まかな日数。現場に残した証拠。妻子の特徴――年齢や容姿も似通っていたことにも当然気づいていたのだろう。君なら。ほかの捜査官は知らないが」
ミラーは暗に告げてきた。
これだけ被害者たちを結びつける要素がありながら、どうしてお前は自分の妻子が標的にならないと思っていたのかと。
ハワードは足元がぐらつくような憤りを覚えた。
ミラーはさらにたたみかけた。
「私は小児愛者ではない。何度も言っただろう。私は坊やを父親の手から護っただけだと。あの子は私に泣きついた。パパが僕を叩いたと。僕はいらない子だって、私に向かって泣きついたのだ。坊やの最期の言葉を教えよう。聞きたいかい? 聞きたいのなら、ほら、私に近づくのだ」
罠だとわかっていたのに、ハワードはなぜかミラーの誘いを拒むことができなかった。ミラーの口元に耳を寄せると、あやしげな吐息が漏れ聞こえた。
「――〝僕はお兄ちゃんになるから強いんだ〟」
ジェニファーに第二子が宿っていたことをどうしてこの男は知っているんだ。それは家族以外誰も知らない事実だった。
動揺したハワードに隙ができた。ミラーはそれを見逃さなかった。
次の瞬間、ハワードは右耳に強烈な痛みを覚えた。
ミラーがハワードに飛びかかり、柔和な笑みの奥に隠された鋭い犬歯でハワードの右耳にぎりぎりと噛みついたのだ。さすがのハワードもミラーの奇襲に声を上げたが、ミラーが不利な点は変わらない。ハワードはむき出しになっているミラーの股間を蹴り上げ、彼の抵抗を封じた。
ミラーは倒れ、痛みを逃すように身体を丸めた。ハワードはミラーに馬乗りになり、彼の首を絞めた。ミラーの首は片手でつかめるほど細かった。ハワードは不思議な高揚感に包まれた。大柄なハワードの下で両手を拘束された殺人鬼は一心不乱に身をよじらせ、ハワードの手から逃れようとしていた。この男のある意味人間らしい姿を見るのは初めてだった。ミラーはぜいぜいと苦し気な声を上げたが、ハワードと目が合うと、すうっと無になり、やがて低い声で言った。「死ぬぞ」
ハワードはその意味を理解したとき無意識に手の力をゆるめた自分自身をあとから責めた。ハワードの手から解放されたミラーはげほげほと咳きこんだ。盛大にむせるミラーを見て、ハワードはわずかに罪悪感を覚えた。だがその感情はうずくまった男から発せられる嘲笑にかき消された。
「……本当に〝優しい〟男だね。ハワード刑事」
情けをかけるべき相手ではなかった。この男は連続殺人鬼J・ミラーなのだ。ハワードは苛立ちに任せてミラーを殴り、彼の意識が失われるまで攻撃を続けた。それから丸一日ミラーを地下室に閉じこめ、彼の精神がすり減るのを待った。ちまたでは実業家マイケル・J・ミラー失踪のニュースが流れ始めていた。
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