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第9話

 地下室の扉を開けると、ミラーは床に敷かれたマットレスの上で手足を抱えて全裸で横になっていた。  拘束衣は脱がせたが、首輪代わりの鎖を解くことはできない。彼は眠っているようだった。  ハワードは換気扇を回し、トイレ代わりの吸水マットを取り換え、新しい食べ物と水を用意した。 「……パパ?」  ミラーが寝返りを打ち、彼の顔がハワードに向けられた。寝ぼけているようだ。寂し気にミラーは左手の親指をしゃぶっていたが、そこに彼の指はなかった。  ミラーの精神は彼の幼少期に戻ったきり帰ってこなかった。  ハワードは復讐のためにミラーを調べていく過程で、彼の隠された過去に関わる人物にたどり着くことができた。彼女はミラーの小児科医だった。  ミラーは幼少期より父親からの虐待を受けて育った。彼の父は重度のアルコール依存者で、酒が切れるとすぐに家族に暴力を振るうようになった。ミラーの母親はミラーをかばったが、それは父親の怒りを増長させるだけだった。  ミラーが九歳の頃、母親に新たな命が宿った。ミラーは未来の弟、あるいは妹の存在に不安を抱いた。自分以外にも父から虐待を受ける人間が増えてしまう。増えるくらいならなくしたほうがいい。ミラー少年に残虐な一面が芽生え始めたのはこの頃だったらしい。  ある日、母を階段から突き落とそうとして失敗したミラーは父親に折檻され、一晩中殴る蹴るの暴行を受けた。痛みには耐えられる。そう考えたミラーだったが、妻への性欲を持て余していた彼の父は、ミラーに性的暴行まで働くようになった。ミラーは少女のような可憐な顔立ちをしていたからだ。  ミラーへの性的暴行を知った彼の担当医は警察に届けを出そうとしたが、それはミラー自身が止めた。彼女いわく、『ぼくがぶたれればママは笑ってくれる』とミラーは話したそうだ。ミラーは母の胎内に宿る命をなくそうとしていたが、母のことは大好きだった。  だがそれからしばらくして、彼の家族に悲劇が訪れた。父親が一家心中をもくろみ、母親を刺し殺したのだ。  父親は腹に深い刺し傷を負い、病院に運ばれたが数時間後に死亡した。ミラーは外出していて留守だった――とされている。事の真相は定かではないが、ハワードは彼の最初の殺人ではないかとにらんでいる。だがそれを追求する必要はない。ミラー家の事件はとうの昔に時効を迎えているし、唯一の生存者であるミラーはまともに接することができない。  彼の過去を踏まえても、ハワードはミラーの殺人を正当化することはできない。彼にはジャックが彼自身、ジェニファーが彼の母親、そしてハワードが父親に見えたのだろうが、それだけでハワード家やほかの被害者たちが悲劇に遭った理由にはならないのだ。  ハワードはミラーを殺すことができなかった。八年もの間仇敵であるJ・ミラーという男を追い続けていく過程で、ハワードはミラーを知りすぎてしまったのである。ハワードは無意識のうちに、彼の犯罪の証拠よりも彼を形成していくつらい過去に興味を抱いてしまったのである。  ジェニファーとジャックが殺されて八年が経ったあの日、ハワードは確かに連続殺人鬼J・ミラーと対峙した。愛する彼らが眠る墓石の前で。  あのときミラーを殺しておけば、少なくともハワードは彼を殺人鬼として葬ったことに誇りを抱いたであろう。  だが今のミラーは幼児退行したマイキーのままなのだ。  ハワードがミラーの隣に腰を下ろすと、彼の気配を感じ取ったのだろうか、ミラーは穏やかにほほえんだ。  それを見てハワードは複雑な気持ちになった。無性に煙草が吸いたくなった。

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