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第3話

 『ヒート』  別名、発情期とも呼ばれる現象は、オメガにしか起こらない。それはオメガにとって避けて通れない道だ。自分よりも上位の者の遺伝子を残す役割を、オメガは担っている。  とにかく見境なく欲情し、そこらじゅうにフェロモンをまき散らしては誘惑する。そのため、オメガは低俗な存在として扱わることが多い。  自分がオメガだということを喜ぶ者は少ない。オメガは見下され、嘲笑われる。オメガを慰み者として扱う者も多く、平等なんてものはどこにもない。それが紛れもない現実だ。  けれど航は、自分がオメガだということを恥ずかしいと思わなかった。ただの体質の違いで全てを悲観するほど、航は繊細ではない。  誰にどう思われようが、自分は自分らしく生きていく。他人なんて関係ない。そんな航の考え方が変化したのは、今から数年前。穂高と出会った時だった。  突如舞い降りた天使が穂高だった。  初めて目があった時の衝撃を、きっと忘れることはできないだろう。  そんな天使と見間違った男は、まだ夢から醒める気配がない。素肌の肩を晒し、無防備なその姿に航の眉間に皺が深くなる。  こんなにも綺麗で、こんなにも魅力的なくせに。  オメガの特性をそのまま形にしたかのような、運動も勉強も苦手な穂高を、航がどれだけ苦労して守っているか……思い出すだけで涙が出そうになった航は、思わず顔を手で覆った。  何かと狙われやすい穂高を守る為、航は自らをアルファ性だと偽ることを選んだ。典型的なアルファになるべく血の滲む努力を重ね、誰からも文句を言われない男になった。  他のアルファに比べて若干体格は劣るものの、今の航はオメガの片鱗すら見せない。  それも全て穂高の為だ。自分が傍にいれば誰も穂高に手を出さないし、効率よく穂高を守れる。  アルファになろうと決めた日から航がしてきた努力と苦労は、涙なしには語れない。  それなのに当の本人は、食べてくれと言わんばかりに隙だらけで。航はお仕置きも兼ねて、穂高の布団を思い切り剥いだ。いきなり外気に晒された穂高が、ぎゅっと縮まって呻く。 「んん……寒い…………わたる、寒い」 「そりゃ寒いだろうな。だってお前、服着てないもん」 「布団ちょうだい」 「駄目だ。今すぐお前を起こさなきゃ、俺まで遅刻する」  奪った布団をベッドの外に落とし、カーテンを勢いよく開く。すると朝日が容赦なく部屋に降り注ぎ、穂高は枕に顔を埋めて悪あがきをした。  もちろん、その枕も航に取り上げられたけれど。 「航の起こし方が日に日に荒くなってる気がする……」  ようやく穂高が恨みと共に起き上がる。辛うじて下着だけは身に着けていたことに、航は内心で安堵の息を吐いた。 「だって普通にしても穂高は起きないからな」 「みんながみんな、航みたいに朝に強いと思わないでほしい」 「早起きはいいぞ。そうだ、明日は穂高も一緒に走るか?」 「別にいいけど、僕のペースに合わせたら散歩にもならないと思う。僕が短距離も長距離も苦手だって、航は知ってるでしょ?」  くあ、と欠伸をした穂高がベッドから降り、大きく伸びをした。昔は小柄で華奢だった身体は、数年で逞しくなったと思う。  見た目だけならオメガらしくないのに、穂高の性格は完璧にオメガだ。  温厚で怒ることなんてなく、人に優しく親切でとにかく繊細。動物と花が大好きな穂高は、見た目も中身も天使そのもの。  人間の元をたどればサルに行きつくけれど、穂高の場合はきっと天使だ。航は本気でそう思っている。  そんな天使が、ベッドの傍で考えている航を見つめる。ぶつぶつと「天使だ」とか「羽が見える」だとか言っている航を、じっと見つめる。  穂高の唇が、歪に笑う。

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