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第11話
「航!」
廊下に飛び出た穂高は、航用の声と笑顔で呼びかけた。その姿はつい数分前まで犯すだとか、排除だとか言っていた時とは別物の純真無垢な『穂高君』だ。
「穂高。どうした?」
穂高を視界に入れた航が、にっこりと微笑む。
「航が戻ってくるのが遅いから、心配になって。ごめん、もしかして邪魔した?」
気遣うような視線を航へ向け、それを航の隣にいた能面へと移す。圧倒的に自分の方が格上だと確信した穂高は、能面に向けても会釈を忘れない。
名前も顔も知らない相手にすら礼儀正しい穂高に、航の穂高株は上昇した。やっぱり穂高はいいやつだ、と航の笑みが深くなる。
「俺が穂高を邪魔だと思うわけがないだろ。ちょっと話してただけだ」
「ちょっと話してたって、どんなこと?」
「何だっけ。次のテストの範囲が広いとか、購買に新しいパンがあったとか……?」
「そうなんだ。でも航はパンよりお米の方が好きだよね」
満面の笑みで航に返した穂高は、すっかり存在を忘れ去られている能面生徒を見る。航に見えない角度でニヤリと笑ったかと思えば、即座に睨み顔に変えて威嚇した。穂高の牽制に気づいた彼は、そそくさと逃げ出すように自分の教室へと戻って行く。
「そう言えば航。日直で呼び出されたのって、結局何の用事で?」
「ああ。なんか一時間目は自習だから、テスト勉強でもしておけって言われた。みんなにも言わなきゃな……って、あれ?さっきのやつは?」
「さあ?何も言わないで行っちゃうなんて、航に失礼な人。それより先生からの伝言って黒板に書よね?僕も手伝うよ」
たかが黒板に字を書くだけの作業。それを手伝うと申し出た穂高に航は首を傾げたが、すぐにその理由を自ら見出した。きっと優しい穂高は、航の手間を少しでも減らそうと思っているだろう、と。それは完全な間違いだったけれど。
「ありがと、穂高。穂高はやっぱり優しいよな」
「そんなことないよ、僕のは航限定だから」
「そうやって謙遜するところが、控えめな穂高らしくて俺は好き」
航の言葉に穂高は何も言い返さなかった。それは、謙遜でもなく本音だったからだ。そして穂高は優しいから手伝うと言ったわけでもなかった。
黒板に大きく書かれた『自習』の文字を、穂高は周りに気づかれないよう写真を撮った。心の中で「ああ……航の字だ」と呟き、指で画面を何往復も撫で、しっかり保護までかけるとスマホを制服のポケットへと戻した。そして何食わぬ顔で航のチョークで汚れた指を拭いてやり、労いの言葉をかける。
「航、お疲れ様。相変わらず航の字は読みやすいな」
指を拭き終えたティッシュは持ち歩いているジッパー付きの袋に入れ、航が使ったチョークも同様に拝借しておく。だらしなく緩む口元を手で押さえ、最高の土産を鞄の奥にしまいこんだ。
その一連の流れを見ていたミチオは、何も見ていないと自分に言い聞かせた。
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