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第45話:本と個展とオリンピック4
電話は次から次にかかってきた。
相楽さんは眉間に皺を刻んだまま、すべての電話に出て話す。
子機を持ち出しデスクから離れたスペースで話しているけれど、みんながひと言もしゃべらないせいで相楽さんの声がずっと聞こえていた。
ご迷惑をおかけします。それは今確認中です。
怒りをこらえた声のまま、その言葉が繰り返される。
聞いているこっちまで、胃がキリキリと痛んだ。
耐えきれなくなってしまい、僕はそばに行って彼の腕に触れる。
「もう、電話は……」
さっきから聞いていて、いま現在取引のあるクライアントにはおおかた事情を説明し尽したと分かっていた。
あとかけてくるとすれば知人という名の野次馬か、本当に誹謗中傷の類いだ。
電話を下ろした相楽さんが、僕を見て小さく笑った。
「ミズキがそんな顔するなよ」
「……っ……」
目が合った途端、思わず涙ぐんでしまう。
そんな僕の肩を、彼は励ますように叩いた。
「俺たちは面白いもの、いいものを作っていくだけだ」
「そうかもしれませんけど……」
アートディレクターがチームを組んで制作するのは当たり前だ。
下のデザイナーを使うことを非難されるのはおかしい。
確かに相楽さんは勝手なところもあって目立ちすぎる人だけど、人の手柄を横取りするような意図はなかった。
久保田さんは、相楽さんを誤解している。
そしていま、世間が彼を誤解している。
それが悔しかった。
橘さんも席を立ってこっちへ来る。
「相楽、今日はもう自宅作業にしよう。電話が鳴りっぱなしだし、この空気じゃ仕事にならないよ」
「……そうだな」
みんなが気まずそうな顔で帰っていき、相楽さんは電話機のケーブルを抜いてしまった。
事務所が静寂に包まれた――。
*
それから2週間後――。
騒動はなかなか収まらず、テンクーデザインは営業を再開できずにいた。
あんな動画1本、時が経てば忘れ去られると思っていたのに、マスコミがそれを取り上げ、さらにネットが面白おかしく拡散した。
その中には盗作疑惑や業界関係者との黒い繋がりなど、根も葉もないウワサまであって……。
事務所には連日マスコミが詰めかけ、近づくことも難しい。
それでも僕たちは自宅作業を続けていたけれど、騒ぎのせいで新規の発注が止まり、仕事は途切れてしまった。
そんなある日のこと。
僕は橘さんにメールで呼び出され、事務所近くの公園へ向かった。
平日昼間。公園は嘘みたいなのどけさの中にある。
事務所は今も悪夢に包まれているのに、ここには子供たちが遊ぶのんびりした景色があって……。
何が現実なのか分からなくなる。
「荒川くん!」
呼ばれて振り向くと、橘さんの細長いシルエットが見えた。
そしてその近くには、事務所の仲間が数人集まっていた。
「あれ、橘さんだけじゃなかったんですね?」
驚いて聞くと、彼は曖昧な笑みを浮かべる。
「みんなともちょっと話してて……」
「みんなとも……いったい何をですか?」
スタッフ全員が集まっているわけではない。
けれどもここに相楽さんがいないことに、僕は違和感を覚えた。
橘さんが、遊具の柵に寄りかかったまま話し始める。
「話したいのは今後のことだよ。相楽はテンクーデザインを続けるつもりらしいけど、僕は無理だと思うんだ」
さらりと語られた衝撃的な言葉に、ひどく戸惑ってしまった。
「無理って……どういうことですか?」
橘さんと他の数人の、生ぬるい視線が僕に向けられる。
「荒川くんはまだ事務所へ来て日が浅いから、よく分からないのかもしれないけど……。クライアントが離れたら、デザイン事務所はやってけないよ。一度失った信頼は、そう簡単に戻ってこない」
「それはそうかもしれませんが、でも……」
時間が解決してくれる、僕はそう安易に考えていた。
けれどもみんなは違うらしい。
「橘さんはどうするつもりなんですか? それにみんなは……」
居合わせたみんなが、気まずそうに顔を見合わせる。
「このままテンクーデザインにいても、仕事がないのは分かってる。そうしたら他の事務所に移るか、独立するか。それくらいしかないでしょう!」
橘さんが、キッパリとそう告げた。
普段の穏やかな彼とは違う、その態度に驚く。
「まさか相楽さんを、見捨てていくっていうんですか? あの人は橘さんを頼りにしてるのに……」
「そんなこと分かってる、分かってるけどさ!」
柵にもたれかかっていた橘さんが、勢いよく体を起こした。
「僕には家族がいる、相楽と一緒に自滅するわけにはいかないんだ!」
「自滅って……」
のどかな公園で聞くには、だいぶショッキングな言葉だった。
「自滅だよ、あいつは調子に乗りすぎた。世界が自分中心に回ってると勘違いしてたんだ」
信じられないほど辛辣な言葉が、橘さんの口から吐き出される。
「確かに、相楽には才能がある。あいつみたいには、僕は逆立ちしたってなれやしない。けど、あいつは失敗したんだ」
「失敗……?」
乾いた声で聞く僕に、橘さんはゆっくりと頷いてみせた。
「今回のことは、周りの人間を大切にしなかった今までの報いだよ。少し可哀想な気もするけど、これが現実」
「そんな……」
「荒川くんも、相楽からは離れた方がいい。君は若いし才能がある。もっと大切にしてくれる人の下につくべきだ」
橘さんが歩み寄ってきて、立ち尽くす僕の肩に触れた。
「大切にしてくれる人……?」
見上げると、橘さんが微笑む。
「僕らは僕らで、新しい事務所を作ろうと思うんだ。ゼロからのスタートだけど、マイナスからよりはいくらかマシだと思う。荒川くんも一緒に来ない?」
(それが、みんながここにいて、相楽さんが呼ばれていない理由?)
衝撃的な現実を前に、言葉が出てこない。
頭ひとつ背の高い橘さんを、僕はただ黙って見上げていた。
そんな時――。
「あ――」
少し離れて立っていた仲間の1人が、息を呑むような声を上げた。
公園の入り口を見て固まっている、彼の視線の先を見る。
(嘘……)
そこに立つ人の姿を見て、心臓が凍りついた。
相楽さんだった。
彼は腕組みし、射抜くような目で橘さんを見据えていた。
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