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第67話

 外出間際の兄を乱暴に引っ張って、携帯を無言で奪い取る。  呆然とされるがままになっている彼を逃がさないよう室内に追い込んで、内鍵とドアフックを掛けた。  寝るためだけにあるような狭い部屋だ。実際寝るためだけに彼はここに帰ってきていたのだろう。申し訳程度に備え付けられている家具には彼の私物らしきものは一切なかった。  寒々しい部屋の中、顔を青褪めさせている兄の目の前で、携帯の電源を切って床に放る。  硬い音を立てて滑っていったそれを見もせずに、弘人は湊との距離を詰めた。  途端びくりと体を揺らして懲りもせず逃げようとしたその態度に、一時引っ込んでいた怒りが再燃する。今度のそれは苛立ちも混じってより強く弘人の胸を焦がした。  躱される前に再び手を伸ばす。彼の両腕を捕らえて至近距離で覗き込めば、諦めたように眼が合わさった。  しばし無言で見詰め合う。 「…………」 「……」  先に瞳を揺らしたのは湊だった。 「……どうして、ここに居るの、お前……」 「捜したからですよ」 「何で捜すの」 「何で?」  く、と笑う。  憤りの篭った笑みに硬直した体を、力任せに壁に押し付けた。  どん、と鈍い音が狭い部屋に響き、湊が苦痛に顔を歪める。 「逃げられたら追いたくなるのが男の本能ってもんでしょ」 「ふ、ざけ」 「――ふざけてるのはあんただ!」 「……っ」  間近での怒声に湊の瞳が驚きに瞠られた。  一瞬過ぎった怯えの色に、ああその顔だと思う。  ちりちりとこめかみが|灼《や》けていく。彼にそんな表情をされると、自分でも不思議になる程嗜虐心が煽られる。  唇を噛んだ彼に顔を近づけて、殊更ゆっくりと責め立てた。 「どうして俺から逃げるんです?」 「……逃げ、て、は」 「いないなんて言いませんよね、この状況で」 「…………」 「訊きたい事があるんです。答えてください」  拒否を許さない強さで告げると、湊は何を訊かれるか察したのか先程の比ではなく青褪めた。血の気のなくなったその顔色はどう繕おうとももう隠せない。隠させない。  掴んだ腕が軋む程力を込めた。 「俺たちの関係は、何ですか」 「……、……兄弟」 「湊さん」 「兄弟だ、それ以外にない」  今は、という心の声が聞こえてきそうだった。  強情に引き結ばれた唇を見下ろす。一言たりとも吐くものかという意志の表れのようで、面白くなかった。 「――ふうん」  なぜ彼の口から確信が欲しいのか、零さない彼が許せないのか、深く考えもせず彼の体を突き飛ばす。  綺麗に整えられたベッドの方へ。 「っな、――おいっ、やめ……!」  跳ね起きようとする体に圧し掛かって、ヘッドボードに引っ掛かっていたネクタイで手早く彼の両手首を纏め上げる。本気で抵抗してくる体を抑え込むのには苦労したが何とかなった。  きつく結んだそこを持って改めて引き倒すと、猛烈に怒った瞳に見上げられてぞくりときた。 「……どういうつもりか知らないが、今すぐ解け。こんなことしたってお前には何の意味もないだろう」 「意味はありますよ。あなたが口で教えてくれないから、こうするしかないんでしょ」 「何だと?」  ますます怒りに染まる瞳がはっと動揺した。  弘人の手が湊の襟に掛かり、性急に寛げて素肌に触れたのだ。 「チープだけど、一番手っ取り早くて確実でしょう。……体に訊く、ってね」  見下ろす弘人の目がちらとも笑っていない。  それを知った瞳が、こちらを見上げたまま、ざあ、と色を変えた。  怒りから、絶望へと。 「……っ、ぅ、……」 「ああ、男の体って分かり易くていいですね。前も後ろも……経験者じゃないとこうはいきませんよね」  必死で声を噛み殺す彼の後ろを弄りながら前を扱く。手のひらで捏ねるように先端をくるくる弄んで突き刺した指を曲げ中を探ると、湊の背が面白い程びくびく跳ねた。  引っ繰り返した体を背後から捏ね繰り回しているから、綺麗に乗った背筋の動きがよく分かる。尖がった肩甲骨に戯れに噛み付きながら撫で擦る体は硬くて、女の柔らかさとは程遠い。けれどその確かな硬さと肌の感触は、弘人の指によく馴染んだ。  自分の指は、体は、彼の肌と熱を記憶している。その事を確信して、追い上げは一層細やかになっていった。 「湊さん、唇痛くない?」 「……、さわ、るな……」  すでに噛み過ぎて血が出てしまっている唇に、彼の体液に塗れた手で触れると首を振って拒絶された。どろどろに溶けてきているのに一貫して変わらないその姿勢は、もはや敬服に値する。  嬌声など漏らすまいと全身に力を込めているのに、否応なしに開いていく体がいじらしくて、弘人はそう感じる自分を素直に受け入れていた。 「前の俺と、こういうことどのくらいしてたんですか。抵抗らしい抵抗もできてないじゃないですか」 「………して、な……い」  頑迷に否定してくる彼に意地悪く笑う。  自分が触れただけでこうも蕩ける体にされておいてよく言う。 「へえ。じゃ、別の男? 湊さん、誰に触られてもこうなっちゃうんだ」  形の良い尻を撫でて軽く叩く。尻軽、とでも言うように。  その途端勢い良くこちらを振り向いた顔が怒りと屈辱に染まって赤くなっていた。何か言おうとしたのか開かれていた唇が、結局一言も発さないまま悔しげに閉じられる。  言えばいいのに、お前だけだと。 「ね、そろそろ答えてくださいよ。俺たちの関係は……?」  認めてしまえばいいのに、早く。  そうしたら今の弘人だって。 「きょうだ……ぅあっ、……ッ」 「強情」  増やした指で中を拡げる。  男の抱き方なんて知らない自分が彼の解し方を知っている、それがもう答えだったけれど彼の口から聞きたかった。  屈服させたい。支配したい。認めさせたい。受け入れさせたい。前の自分にそうさせていたように、今の自分にも。  彼の意思を無視したこの行為と押し付ける欲望がどれだけ彼を傷つけているか、頑なな態度を見ていれば分かる。縛った上に剥がしたシャツで更に雁字搦めになっている腕も痛いだろう。きっと酷い痕になる。  なればいいと思う。  彼が何を怖がって弘人との関係を言おうとしないのか知らないが、今の自分とも取り返しのつかない関係になって彼自身が弘人に雁字搦めになればいい。一人で逃げるなんて無理なんだと諦めるぐらいに。  優しくは抱けそうになかった。  ぐちゃぐちゃにしてしまいたい本能のままに腰を掴んで引き寄せる。弘人が次に何をしようとしているのか察知したらしい湊が、はっと身動いだ。 「やめ、もう、もう十分だろ。――…もう分かっただろう!」  力の入らない体を捩って、それだけは嫌だとばかりに逃げようとする。  必死で悶えるその姿に、そんなに今の自分に抱かれるのは許せないのかと腹の底が熱くなった。  前の自分と今の自分。  それはどう違うのだ。 「分かりません、よ」 「……う、…っ」  やはりアメニティグッズだけでは潤いが足りない。  自身の先がめり込んだそこに唾液を垂らす。生温い感触に震えた尻たぶをぐっと開き、彼の中に入っていく過程をじっくり見た。  己の肉棒がずぶずぶ呑み込まれていく。  男と繋がる、彼と繋がる、兄と繋がる。柔らかくて温かいものの抵抗を切り開いて包まれていく感触は脳を甘く痺れさせる。  視覚と神経を全部使って実感していくそれは、凄まじい快感だった。 「ん……、大丈夫ですか?」  深い所まで突き進んで一息つく。  熱くうねる中に全体をびっちり包まれ、気を抜けばそのまま持っていかれそうだ。  荒い呼吸を繰り返す背中を抱き締めて彼の体内を堪能していたら、頭の片隅でまた泡が弾けた。その音が何を意味しているのかはもう分かっている。  舌を出して、汗で湿った首筋から背中のラインを舐めた。この味を覚えている。耳元を舐める。その淫猥な音に敏感に反応する仕草を知っている。  戦慄いた彼が、うわ言のように短い言葉を繰り返した。 「……わ、るな。さわる、な、さ……わ、るな……、……触るな……っ」  意味の無い言葉だ。  応えの代わりに緩く突いただけで途切れる弱い言葉だ。  けれど込められた感情が本気の強さで、弘人の胸がツキリと痛んだ。 「どうして……? 俺だって」  この体を覚えているのに。  ぐん、と腰を入れる。  奥を抉る強い刺激に、湊の咽喉が嗚咽を漏らした。 「……俺だって、弘人なんですよ……っ」 「っがう、ちがう、違う!!」  何度も何度も頭が振られる。シーツに押し付けた黒髪がばさばさ散って、突き上げる動きに乱れて、それでも彼は否定してきた。  くぐもった涙声。ちらりと見えた横顔が濡れていて。  ――――いつだったか、こんな風に抱いた後、彼が流したあの涙はどんな味がしたのだったか。  バツン、と。  一際大きなシャボン玉が、弾けて消えた。 「お前、は……っ、俺の、じゃ、ない」  俺の、ひろじゃない。  悲痛な声でそう言って噎び泣いた彼がかわいそうで愛しくて、弘人は場違いなまでの強い安堵と共に、その体をきつく抱き竦めた。

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