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第7話

 部下から渡された企画書に落とした目を、湊は限界まで見開いた。  社内会議前に内容を一通りさらっておくつもりで開いた書類に、はっきりと記入されている名前を二、三度見直す。自身が部長を務めることになった企画広報部が持ち出してきた内容自体は問題ない。今日の会議に合わせてよく詰めてある。問題があるのは。 「……イメージモデル、……海津、弘人……?」  顔写真付きで記載されている簡単なプロフィールは間違いなく弟のものだ。長らく離れているとは言え間違うはずがない。知らないはずがない。  呆然と紙面を見下ろす上司を、企画書を書き上げたチームリーダーである小野瀬は、半分不安気に、もう半分は期待を込めて見つめた。 「部長、もしかしたら……と思ってたんですが、この海津弘人の身内の方じゃありませんか? 芸名使ってないらしいから苗字一緒ですし、よく似てるなあって前から思ってて」 「…………」  湊の無言を肯定と取ったのか、小野瀬は両眼を輝かせて身を乗り出してきた。喫煙家の彼から自分が吸っているものと同じ煙草が香る。 「やっぱり、兄弟ですか? ほんと似てますよね、部長の方が線が細いですけど。あ、別になよっとしてるとかじゃなくてですね、なんて言うかあんまり男臭くないっていうか、いや男らしいんですけどスタイリッシュでカッコイイっていうか、そんなとこもいいなっていうか、ええと、えっとですね!」 「落ち着け」 「はい!」  直立不動の部下に企画書を返し、湊は懐を探った。とりあえず自分も落ち着くべきだ。  年々スペースを減らされていく喫煙所は狭い。換気は十分に行われているが、部屋の狭さのせいか妙に息苦しく感じる。  一本銜えるとすかさず火が差し出された。どこのホストかと突っ込む気も起きず、黙って煙を吸い込む。 「小野瀬」 「はい!」 「本決まりか? それ」 「はい。昨日返事をいただきました」 「……そうか」  もう行っていいと手を振ると、小野瀬は名残惜しげな顔をしながらもフロアに戻っていった。午後からの会議の準備で忙殺される時間帯に、リーダーをいつまでも付き合わせるわけにはいかない。 「――…マジでか……」  誰もいなくなった喫煙所で、湊は頭を抱えた。  こういった事態は可能性の範囲でならばいくらでも考えられたことだ。決してあり得ないわけではない。  頭ではそう理解しているのに、胸中は驚くほど混乱していた。  自分のテリトリーに突如現れた顔を見た途端に、暴発したような勢いで吹き荒れた声がわんわんと鳴り響く。無防備に晒した背中に飛び蹴りを喰らった気分だ。  ――――会いたい。  確かにそう叫んだ自分がいた。  たった一人の家族に会いたい。それならセーフだ。問題ない。しかし。  頭に浮かんだ言葉は即座に喉を下り、焦げるような熱を発しながら胸元に落ちた。  いっそそのまま臓腑を焼き尽くして殺してくれたらいい。そうしたら、向き合わなくてすむ。まだ逃げていられる。気のせいのままで知らん顔ができる。  ……むねがいたい。  ――――逢いたい。  肺が焼けちゃわないかな、としょうもない希望を込めて限界まで吸い込んだ煙がひょろひょろと漏れていった。輪っかを作って遊ぶ気にもなれない。  何なのだこれは、この痛みは。そんなものを感じている自分は、一体どうしたのだ。どうしたいのだ。  家族としての過去。兄弟としての絆。  小さかった弟が、大人になっていった記憶。  ぶつけられた想い。掴まれた腕の痛み。見つけてしまった気持ち。  それから逃げ続けている、自分。  次々に去来してくる感情が、目まぐるしく脳裏を揺さぶる。  吐きそうだった。  ――――あいたい。

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