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第8話
瀬逗商事との打ち合わせは滞りなく進んでいる。
だが事務所の一室で瀬逗のイメージをプレゼンされながら、弘人は安堵すると同時に酷い落胆を味わっていた。
今回のCM担当として現れた瀬逗側の人間は二名。担当者の小野瀬と彼の補助員だ。そこに兄の姿はない。
分かってはいたが、やはり彼は自分の前に現れる気はないのだろう。会社を挙げてのCMの概要に、兄が触れないはずがないのだから。そのCMに誰を起用したかは周知のはずで、その上でこの場に来ないということは、それが彼が出した答えなのだろう。
「海津さん? どうかされましたか?」
「あ、いえ、すみません。その新しいデザイナーのコンセプトが、本当に私で足りるのかと思いまして」
「もちろんです。このキャッチコピーの通り、我が社では大人としての品格を保ちつつも遊び心を忘れない、魅力的なギャップを持った男性をモデルとして求めており……」
今は仕事中だ。個人的なことで気を逸らしていていい場ではない。
担当者が滔々と語る内容に自分が相応しいかは自分で判断する事ではないし、この場に兄がいないからといって落ち込んだ顔を晒していいはずもない。
隣に座って同じく話を聞いているマネージャーが投げてくる視線に居住まいを正し、弘人はそこから先の会話に積極的に加わっていった。
そうして二時間近くに渡る打ち合わせが恙無 く終了すると、小野瀬はちらりと腕時計を見て、この後の予定を切り出してきた。
「海津さん、平坂さんも、良かったらこの後、親睦会を兼ねて一杯やりに行きませんか?」
時刻は夕暮れ過ぎで、飲むには少し早くはあるが、食事をしながらならば程よい時間だろう。あまり接待めいた飲み会は得意ではないが、これも仕事の内だ。そう平坂と視線で会話し、承諾の旨を伝えた。
すると小野瀬は嬉しそうに破顔し、どこか人懐こい視線を大振りの窓から表へ向ける。
「良かった。実は、海津さんと会わせたい人がいまして、今夜の席に呼んでるんです」
「会わせたい人?」
眉を寄せて反応したのは平坂だ。まさか瀬逗程の会社がミーハーな女性社員を連れてきたりはしないだろうが、ありえないことではない。これまでに関係してきた会社やスポンサーの中には、そういったことを平然と行う所もあった。
だが、二人の反応を違えることなく読み取った小野瀬は、慌てて否定した。
「いえ、違います、キャバ嬢とか女性の紹介とかじゃなくてですね、たぶん海津さんにとっても会いたい人なんじゃないかと……」
「……私にとっても、ですか」
――――ドン、と、大きな鼓動がひとつ、胸を叩いた。
まさか。
小野瀬の笑顔を食い入るように見つめてしまった弘人に、平坂が怪訝そうな表情を見せる。
「それでは、行きましょうか」
促され、無意識に立ち上がる。
惹きつけられるようにふらふらと扉へ向かう弘人を、慌てた平坂が追った。
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