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第12話
海津弘人様、と札の掛けられた部屋で、弘人は海よりも深く猛省していた。
先日ついに念願叶った兄とのデート。物凄く楽しかった。楽しすぎて当初の目的を忘れるくらい、無茶苦茶楽しかった。
そう、当初の目的。
強情で案外ぐるぐる思考が同じ所を回ってしまう兄を自分にめろめろにさせてさっさと覚悟を決めさせるという、大事な大事な目的。
始めは良い感じだったのだ。兄も自分もそれなりに意識して、いけそうな雰囲気になったりもした。
しかしそれも長くは続かなかった。
何年ぶりかの兄とのお出かけに我を忘れた弘人の完敗だった。全力で浮かれてしまった。それはもう、目も当てられないほど力一杯。
途中でたまに正気に返って本来の嬉し恥ずかし初デートチックな雰囲気に戻そうと抗ってみたりもしたが、その頃にはもう完璧に兄のペースで事は運ばれていた。そしてそのまま指一本触れられもせず、初デートは終了。
弘人の思惑など何のその。軽く捻られた気分だ。
待機用として宛がわれた部屋のテーブルに突っ伏して、一人反省会を繰り広げる弘人の向かいで、平坂が大仰に溜息を吐いた。
ファンには絶対に見せられない姿だ。
「最近本当浮き沈み激しいね。何なの?」
「……仕事はちゃんとします……」
「そんなの当たり前だよ。マネージャーはさ、俳優のメンタルにだってある程度は責任あるんだから。何かあるなら言っといてくれないとさ」
「そんなビジネスライクな人になんか言いたくないー」
「うっさいよ。で?」
テーブルにガンと茶が置かれる。取り調べる気満々だ。
のろのろと顔を上げた弘人に湯呑みを押し付け、平坂は言葉以上に心配そうな眼を向けてきた。いつだって明るくて、他人と程好い距離を保てる器用な人だが、実はドライだ。そんな平坂にすら本気で心配される程度には、最近の弘人は情緒不安定なのだろう。
その自覚がある上に原因も分かってはいるが、こればかりは正直に全てを話すわけにはいかない。
「いやあ……大した事じゃないんですがね。実は俺、兄とは生き別れてて」
「うん。……えっ?」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔、とはこういう顔だろうか。構わずに続ける。
「で、ちょっと前に瀬逗商事のCM打ち合わせの後、兄と会ったでしょう。あれが実は約六年ぶりの感動の再会でして」
「え! ちょ、ええ!? え、ほんとに?」
「百パーセントほんとです」
「ええぇぇ! え、じゃあ、君あの時お兄さんの事えらい見てたのってそれでだったの?」
悄然と頷いた弘人を驚愕と共に見遣り、平坂は顔を覆って浮かした腰を落とした。
「うっそー……俺、この業界長いのに、全然気づかなかった……。えー、だって、弘人は何かおかしいなって思ったけど、お兄さん、全然普通だったじゃないか」
「それがまあ兄の兄たる所以 と申しますか」
「えええ……マジでー? 俺、人の観察とか超得意なのに。自信失くすわーもー」
本気でへこんでしまった平坂に、別に弘人は悪くはないのだが申し訳なくなって頭を下げた。
「何かすみません、うちの兄、ちょっと面の皮が分厚くて」
「ほんとにね! お兄さん俳優やんないかな。絶対いい線いくよ」
「はあ、色々派手ですけど、基本表舞台嫌う人なんでちょっと難しいかと」
「そうなの? あんな美人なのに勿体ないね。あーあ、しっかし、あーあ。……で、最近の弘人はお兄さんの事で様子がおかしかったわけ?」
とりあえず衝撃から立ち直った平坂が、姿勢を正して問うてくる。一口、二口茶を含むと、自然と吐息が漏れた。
「長いこと離れてたもので、どうしたらいいか分からないというか……どの程度一気に距離を詰めていいのか悩んでて」
嘘ではない。正真正銘その事で弘人は悩んでいた。ただ、その感情の種類が普通の兄弟のものとは違うだけで。
弘人の顔を眺めて、平坂は腕を組んだ。物思いに耽って切なく眉間が寄る弘人のそれは、そのままフィルムに収めたくなるようないい表情だ。
「そしたらさ、こうしてみたら?」
「え?」
俳優海津弘人の奥行きが広がる可能性を、もしかしたら彼の兄が持っているのかもしれない。
優秀なトレジャーハンターの直感が、平坂にそう囁いていた。
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