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第19話
初めて弘人と寝てから、もう二週間が経つ。
リビングでぼんやりと週末のニュースを流し見ながら、湊は先々週の週末を思い返していた。
弟と体を繋いだからといって、突然世界が変わるわけではなかった。
当たり前だがこの二週間、いつもと変わらず朝が来て、いつものように出社して、いつもと同じく仕事をしている。世界が薔薇色に見えるわけでもなく、かといって思っていた程背徳感に塗り潰されているわけでもなく。
腹が据わる、というのだろうか。弟の未来の可能性を奪ってしまった罪悪感はあるけれど、後悔はない。
可愛い妻がいて、生意気だが愛すべき子どもがいる。夫婦で年をとって孫が生まれて、目の中に入れても痛くないくらいに可愛がる。最期は孫子に囲まれて、穏やかに逝く――そんな人生は、もう弘人には返してやれない。もちろん、自分にも。
特に望んではいないけれど、漠然とそういう人生を送るものだと思っていた。それを捨てることは、惜しくはない。見たこともない未来の妻や子どもよりも、弘人がいい、ただその一心で求めたのだから。
赤ん坊の頃から見てきた弟と抱き合うなど、十年前の自分は想像もしていなかった。けれど今思えば、弟に特別な感情を持つ予兆のようなものはあったのだ。当時は無意識に気づかないようにしていたのか、分からなかったけれど。
昔から弘人は湊にべったりだった。学校の友達と遊ぶよりも湊と遊びたがって纏わりついてきたし、湊が勉強していれば隣で弘人も教科書を広げた。何でも兄の真似をしたがる弟に、辟易したことだってあった。それが両親の事故死から一転、内に閉じ篭ってしまった弘人は湊の存在さえも心から追い出し、生きる人形へと変わってしまったのだ。両親だけでなく弟まで失ってしまうのかと、あの時の湊は途方に暮れた。
執着を自覚したのは、弘人が正気づいてからだ。自己を取り戻した彼の成長は目覚しく、それを嬉しがる反面心のどこかで残念に感じていた。心を閉ざした弟の姿は辛かったけれど、動かない彼が勝手にいなくなることはないし、湊の手がなければ生きていけないその状態が、湊に奇妙な安心感を与えていたから。
その傲慢と依存に気づいた時、湊はあまりの自分の弱さに鳥肌を立てた。弟の命を手のひらに握っている気になって、あまつさえそれを自分のために利用していたのだ。
気持ちが悪かった。そんな思考回路を持っている自分が、それを気づかずに振り翳していた自分が、何よりも気味が悪くて仕方がなかった。
だからせめて、弘人が向ける憧憬に恥じない兄でいようと、それからの湊は必死だった。追ってくる弘人の先を歩くように、失望させないように、常に意識していた。その意識が疾うに突き抜けて特別なものに変化していたことにも気づかずに、ただ必死だった。
何をどう間違えたのか、その結果在り方を変えた感情が弘人に真っ直ぐに帰結した今、湊にできることはもう、弘人を幸せにすることだけだ。
弟を嫁に貰う兄なんて広い世の中といえどそうはいないだろう。そう考えると面白い。
回した氷の音がどこか気怠い。水滴が浮いたグラスに口を付けると、薄まったビールが不味かった。
ビールに氷を入れる癖はマレーシアでついた。日本に戻ってきてからは、入れる必要もないのに何となく抜けない。さすがに外ではやらないが。
数日前に海外支部からヘルプが入った。以前湊が担当していた取引相手とトラブルが発生したらしい。会社同士というよりも個人での繋がりを重要視するタイプのところだったから特に気を遣って引き継いできたが、そこを割り振られた担当者がやらかしたようだ。
本来であれば支部の責任者が何とかすればいいだけの話だが、結局湊にまで上がってきた。現在の責任者は同期の木戸だ。湊の本社行きの代わりにその席へ収まった木戸は凡庸な人間ではない。トラブルの一つや二つ抑えられない器量ではないのだから、湊のところにまで話を持ってきたということは他に何か目的があるのだろう。
事態の収拾と、木戸の思惑。ついでにドイツにも行って民芸品を発掘できたら上々か。どうせ出張するのなら趣味と実益を兼ねたものにするべきだ。そうでないと楽しくない。
極限に薄まったビールをシンクに捨て、歯を磨いて寝る準備をしていたらインターフォンが鳴った。こんな時間に訪ねて来る人物の心当たりなど一人しかいない。
合鍵を渡してから初めての訪問だった。ぽつぽつと連絡は取り合っていたが、顔を見るのは実に二週間ぶりになる。出張の話もしなければと思っていたから丁度良い。
玄関ドアを開けると案の定、そこには弟が立っていた。麻生地の青いシャツがよく似合っている。
「久しぶり。寝るとこだった?」
「あと三十分遅ければ寝てたよ。良いタイミングだ」
手土産を受け取って中へ促す。酒とつまみとなぜか野菜だ。首を捻りながらとりあえず冷蔵庫に入れてリビングに戻り、ソファに腰掛けた弘人の傍に寄ったらじっと見上げられてまた首を捻った。
「何?」
「いや、思ってたより間空けちゃったから、ちょっと緊張してる」
「何だそれ」
鼻で笑ったら顔を顰めて手を取られた。変わってしまった関係の変化に戸惑うのはお互い様だ。指の間をゆっくりとなぞられて、湊もしかめっ面になる。
顔を顰め合ったまましばらく見つめ合い、同時に噴き出した。
「中学生かって」
「今時の中学生のがマシだねきっと」
「確かに」
くすくす笑いながら腰を抱き寄せられて、自然に弘人の膝に跨がされる。さすがにこれは居た堪れない。
居心地悪く身動ぐと、面白そうに覗き込んできた弘人に唇を啄ばまれた。可愛らしいバードキスに仕方なく跨ったまま応える。二度三度と角度を変えながら啄ばみ合い、深度の増したキスに酔った。
気持ちいい。
上顎を擽って顔を離すと、熱の滲んだ男の眼で見られていた。視線の強さに煽られる。
いつの間にか前を開けられていたパジャマが肩から落ち、鎖骨に噛み付いてきた弘人の頭を抱えた。キスだけで体温の上がった体を隈なく撫でられると、それだけで呼吸が乱れる。
「待って……ここ、明るすぎて嫌だ」
「今更じゃないの」
「あ…っ」
二週間前の休日で、湊の弱い所を正確に見抜いた弘人の手は容赦がない。脇を下りて腰骨辺りを擦られると体がびくりと跳ねた。また上ってきた手のひらが胸周りを揉み込み、勃ち上がった乳首を摘む。
「……ね、二週間、兄さんも我慢してた?」
わざと手のひらで転がしている乳首を、たまに思い出したようにきつく摘まれると腰が揺れた。もう片方の手は背骨を下りてやわやわと尻を揉んでいる。固くなった乳首を嬲られながら布越しに尻の狭間を辿られると、言い様のない震えが体に走った。
「は、……ん」
湊の体が後ろで感じることを教えたのは弘人だ。弟にとんだ開発をされてしまった。弘人を思い出してそこが疼いた時には死にたくなったが、嫌ではなかった。それでまた死にたくなったけれど、もう仕方がない。弘人仕様の体に変えられようと、もう、仕方がないだろう。
それを許してしまうくらいには、結局湊は弘人に甘い。
「我慢してたっぽいね。ペースが速い」
兄の股間を握りながら嬉しそうに乳首に噛み付く弟に軽く絶望するけれど、それももういい。もう仕方がない。
愛しい。かわいい。そんな気持ちばかりが溢れる。
「ひろ、ベッドに……」
弟の頬を挟んでキスを与えながらせがむと、綺麗な黒瞳が優しく笑った。
ローションを注ぎ足したそこがぐちぐちと淫猥な音を立てて、湊を耳からも犯す。
弘人を迎えた後孔が収縮するのが分かる。まるで奥へ奥へ誘い込もうとするかのような動きに酷い羞恥が湧くのに、顔を伏せることも弘人は許してくれない。
背中から抱かれながら口に指を突っ込まれ、上と下を連動して責められて喘ぐ。もうぐちゃぐちゃだ。獣のようだ。いや、獣以下だ。なのに気持ちいい。
もしかしたら抱かれる度に自分の体は変わっていくのだろうか。それは少し怖かったが、やはり嫌ではない。
弘人だからだ。こんなことをさせるのは、許せるのは、弘人だけだ。
背後から自分を貫く男に力の入らない手を伸ばす。後ろ向きだから表情は分からないが、触れた肌は張り詰めて熱かった。汗が流れている。確かに生きている。それがこんなにも胸に迫る。
「兄さん……、ん、締めて…そう、上手」
「ふ…っ、んッ……」
意識が持っていかれる。弘人が体を引くタイミングに合わせて下半身に力を込めると、弘人の息も悩ましく乱れた。掠れた吐息に中が蠢く。
「はっ……えろ……。兄さん、気持ちい?」
「ッ……言わ、せるなよ…っ」
「言ってよ……、聞きたい」
「ん、ぅっ…ちょ、もちょい、ゆっくり……んっ」
ぐぐ、と腰を押し付けるように沈め込まれ、奥だけを突かれると堪らない。仰け反る上体を抱き締めて、肩に何度も口付けながら弘人はゆっくりと湊を揺すった。
「あ……、あ……」
「ね、気持ち、いい? 俺は、めちゃめちゃいいよ」
「あ…う、……れも、気持ち、い……あっ…」
「うん、中、凄いうねってる。よさそう……うれしい」
「っ…、ふ……」
耳に落ちる濡れた声で達ける気がする。何て声を出すのだろう、この男は。本当に自分の弟なのだろうか。末恐ろしすぎる。
弘人の汗がぱたぱたと降りかかる。それにさえ全身が性感帯のような今は敏感に反応してびくびく震えた。自分の体が自分のものではないようだ。物凄いスピードで作り変えられていくのが分かる。
このまま達けるかと思いきや、弘人は体をずらして湊の隣に横たわり、横向きのまま深く抱き込んできた。奥深く埋まっている肉棒が緩やかに回される。
無理だ。
こんな極まる寸前で自分の形を刷り込む様に動かれたら堪ったものではない。気が狂う。
「ひろ、それだめ、だめだ……あッ」
「ダメじゃないよ」
「だ、あ……だめ、だって……っんあ、あ」
「兄さん、まだ頭ん中、どっか冷静でしょ。……何も考えらんなく、なって」
「ふ、あ、ああぁッ」
くちくち混ぜられたかと思えば突かれ、かと思えばじりじりと前立腺を攻めてくる。弄られすぎて腫れ上がった乳首は弘人の手のひらが掠るだけで電流を流すし、どろどろに汚れた湊のものはシーツに触れるだけで爆ぜそうになっている。
殺される。
息も上手く吸えなくなって朦朧としてきた湊は、何とかしがみ付いてきていた思考力をついに捨て去った。
「あ、ひろ、ひろっ、もう……!」
「ん。イき、たい?」
「あ、あ」
「ちゃんと言って」
抱え上げられた脚が視界の端で力なく揺れている。汗まみれの弘人が顔を覗き込んできて、開けっ放しの口に舌を入れてきた。苦しい。いつの間にか正面から抱き合っていて、深く曲げられた体が辛い。
けれど溶け合うキスが最高に心地よくて堪らなかった。弘人の背中に腕を回してしがみ付く。
「イきた、……ひろ……!」
「うん、一緒に、イこ」
「んあっ」
駆け上がる。昇り詰める。押し上げられていく。
力強い律動で最奥を何度も抉られて、湊は悲鳴のような嬌声を放った。下肢が震える。
締め付けながら達した湊の頭を抱えて、弘人が低く呻いた。
「あ……あ………」
下腹に広がる熱に更に震える。体内に塗り込むように二、三度擦り立てられて、それがまるで弘人の所有欲の表れのようで、胸も震えた。
「は、あ…。後で中、洗うから……」
ぐったりと弛緩した湊の隣に、弘人も頭を落とした。そのまま背中から前へ腕を回して抱き締めてくる。
身を捩って背を預けると、互いの速すぎる鼓動がダイレクトに伝わってきて、何だかおかしい。嵐が去った後のこの時間が一番居た堪れないが、もう照れる気力もなかった。
下半身に弟のモノを埋め込まれたまま、じっと抱き締められて大人しく息を整えていると、不意に目の前が歪んだ。あれ、と思う間もなくシーツがじわりと濡れていく。
生理的に流れるものではない涙が、戸惑う湊の両眼からはらはらと流れていた。別に何も悲しくないのに、特に何があったわけでもないのに、ただ流れる涙に混乱して固まる。
――――何だ、これは。
背後で黙っていた弘人が、異変に気づいたのか身を起こした。その拍子にずるりと体内から彼が出て行って、涙よりもむしろその刺激に肩が揺れた。その肩を掴まれて仰向けに引っ繰り返される。
――――まったく、兄の尊厳になど見事に頓着しない弟だ。
弘人は何を言うでもなく静かに湊を見下ろして、こめかみを流れていく涙をそっと拭った。そのぬくもりが触れて離れた途端、滴る体液は嵩を増した。だいぶ遅刻だが、今度ははっきりとその涙の理由であろう痛みが迫り上がってくる――いや。
単純に痛みというよりも、それは痛切な何かだった。そして幸福な何かでもあった。嬉しさでもあるし、喜びでもあるし、哀しみでも、苦しみでもあった。
ただひたすらに哀切な何かが、湊を満たして溢れ出してしまったらしい。体と心が切り離されたような不思議な感覚で、そう冷静に自分の心を分析した。
顔を歪めもせず、声も出さず、ただ泣きながらぼんやりと見上げてくる湊の頬を撫でる弘人の顔も、不思議な透明感を湛えている。なぜ泣くのかと問うでもなく、慰めるでもなく。この感覚を彼は理解しているのだろう。同じように感じているのが伝わってくる、優しい沈黙だった。
すう、と波が引いていく。
自分を撫でる弘人の手を取り、口付けた。湊の好きなようにさせている弘人の手に、何度も唇を押し付ける。そうしてそのまま指を絡めて、強く引いた。
逆らわずに覆い被さってきた弟を抱き締めて、湊は何も言わないままそっと眼を閉じた。
今はただ、全身で彼の重みを感じて、その命の確かさに触れていたかった。
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