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第73話
黒服の一人が室内から連れ出してきたのは、プラチナブロンドのえらく男前な外人だった。
不審そうな彼に一先ず自分の名を名乗り、中に兄がいないか尋ねたらあっさり肯定されて一瞬沈黙してしまったのは仕方がない。
すぐに気を取り直して取り次ぎを頼んだ彼が再び戻って来た時、一緒に兄の姿はなかった。
「すまないね、ミナトはまだ出られる状態ではなさそうだから、改めてくれないかな」
英語であっても兄の名前を気安く呼ばれるのは気分が良くない。それでも相手は初対面で、しかも恐らく街を流離っていた兄を保護してくれた人だ。不快感を面には出さず食い下がった。
「少し話をしたいだけなんです。兄が来られないなら不躾ですが俺を中へ入れて下さい」
「困ったね。君とは会わせられないと言っているのだが」
「…………」
腕を組み戸口に凭れて立つ男は居丈高だが、余裕たっぷりのそんな態度が妙に似合っている。
彼に何の権利があって湊との接触を拒否できるのか知らないが、黒服二名を従えたその威圧感は本物で、弘人は場違いな嫉妬に唇を噛んだ。
自分がもう少し、この男のような根本的に余裕のある人間だったら、兄を忘れていた間だってもっと上手くやれただろうか。無意味なもしもではあるが、こんな風に誰とも知れない赤の他人に知った顔で兄を隠されてしまう自分の無力さが酷く悔しかった。
冷静を装った仮面がずれて覗いた弘人のきつい眼光を受け止め、クラウスは組んでいた腕を解く。
湊の様子からよもや彼に無体を強いた恋人とはこの弟と名乗る男かと思ったが、どうやら正解らしい。兄を隠したクラウスへ向けるこの目付きは、どう見ても普通の兄弟のものではない。
また厄介な相手を選んだものだと、クラウスは部屋の中からこちらの様子を窺っているであろう湊へ微苦笑を零した。この造形の類似から言って濃い血縁であることは間違いない上に、弘人と名乗った彼の性質はとても激しそうだ。
湊を彼に返したら二人がどうなるかは分からない。和解するかより拗れるか、それは二人次第だ。湊の平安を思えばこのまましばらく預かるという手もあるが、それよりも早く話し合いなり何なりさせた方が彼らにとっては良いだろう。
しかし。
赤黒く変色した手首の痕。雨の中、青褪めた顔で川面を見つめていた彼を見つけた時には飛び込む気かと心臓が凍った。そして弘人の声を聞き分けた瞬間の、血の気の引いた顔。
湊は今、ぎりぎりの場所に立っている。本人に自覚があるかは分からないが、下手を打ったらひょいと越えてはいけない境界を越えてしまいそうな、そんな位置に追い込まれている。
普段のクラウスであれば、憎からず思っている相手が弱っていれば言葉巧みに自分のペースに持ち込んでしまうものだが、今の湊にはそれが出来なかった。冗談でも手を伸ばすなどできない脆さが恐ろしくて。
だから先程の誘いは、本気だった。
じりじりと焼けそうな瞳がクラウスを見つめている。その目が時折部屋の奥に投げかけられて、湊を捜す。突破口を模索している彼が本来湊が求める相手だとしても、そう簡単に差し出す気にはなれなかった。
「とにかく。彼はしばらくこちらでもてなすので、ご心配なく。――お送りして差し上げてくれ、丁重にね」
「っ、ちょ」
クラウスの意を正確に汲んだ黒服が両脇から弘人の腕を取る。
屈強な体に挟まれて扉から引き剥がされ、抵抗したが結局引き摺られるようにエレベーターの方へ歩かされてしまう。
「ちょ……っと、待って、待てって、うわっ」
エレベーターを呼ばれている間もがいても何の効果もない。いくらなんでも成人した自分がこんな赤ん坊のように扱われるなんて色々な意味でショックだ。
地上から三十階以上離れたこのフロアにエレベーターが到着する前に振り切ろうと暴れながら、部屋の扉が閉められる音を聞いた。捜し回った兄をもう少しで捕まえられる距離まで来たのに、後もう少しだったのに、どうして自分はこんな所で取り押さえられているのだろう。
「――に、さん……っ」
謝らなければいけないのに。彼がまた遠くに行ってしまう前に、取り戻さなければならないのに。
誰かの背に庇われるなど、そんならしくない兄のままで居させたくなんてないのに。
こんな所で追い返されて、諦めて帰るわけにはいかない。
「……っ、兄さん―――――!!」
部屋を振り返って、自由な口を開いて。
他の部屋の迷惑など考えもせず、弘人はあらん限りの大声で恋しい人を呼んだ。
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