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第40話

 夏の夜に咲いた花火は美しかった。  弟と二人で過ごした盆休みからすでに一月が経ち、すっかり日常に戻った昼下がり。喫煙スペースで短い休憩を取っていた湊は、ぼんやりあの日の花火を思い出していた。  特に何の変哲も無い花火だったが、隣にいる人の違いでああも別物に見えるのかと真剣に驚いた夜だった。今まではただ熱気が心地いいとか綺麗だとか、花火の性能に興味を持ってみたりだとか、誰と行ってもそちら方面でばかり楽しんでいたのに、あの夜は違った。  一緒に見上げる人に映り込んだ極彩色に見惚れたり、人混みに押されて密着した袖の下でこっそり握り合った手に緊張したり、同じ花火を見上げていること自体に感動して切なくなったり。十代の頃でさえも経験しなかった慌しい感情の浮き沈みに酔っ払いそうだった。  少しだけのつもりが結構な時間まで花火を見上げていて、マンションに帰り着いたのは結局日付変更前。長時間の運転で疲れた弘人に茶を一杯ふるまって、キスだけで帰した。  濃厚な接触に慣らされた三日間を思えば正直言って足りなかったが、翌日からの生活を考えるとそれ以上は出来なかった。別れ際の物足りなさは互いの顔に表れていて、果たしてこんなことで離れている間我慢できるのかと甚だ疑問に思ったものだ。  プロジェクトは本稼動を開始して、忙しさは急激に加速してきている。弘人も撮影地である千葉に入り、忙しくしているようだ。メールのやり取りだけは行っているが、生活時間が滅茶苦茶なために頻繁には出来ず、弘人が元気でやっているのかは放送が始まったドラマで確認するのが手っ取り早くなってきていた。  そんな中、雑誌で取り上げられていたと小野瀬がわざわざある記事を見せに来た。つい先程読んだその記事が、忙しいはずの湊をこうやって喫煙所に追いやる破目に陥らせたのだ。  記事の内容はありがちで、話題作の主演男優と女優を役柄のままにくっつけただけの、浅薄なものだ。海津弘人と相手役の南方エマ。二人が仲良くホテルのラウンジで寛いでいる姿や、共に朝食を摂っている姿などがべたべた載せられている記事は、お世辞にも出来がいいとは言えない。  そんなお粗末なものに踊らされる気はなかったけれど、気にしないと思っていることがもう気にしている証拠で。ただでさえ時間に追われる中、そんなことでミスをしてはならないと気持ちを切り替えるために喫煙所を訪れたのだった。  慣れ親しんだ煙を深く肺に循環させ、吐き出す。二、三度繰り返してぼんやりする。指で挟んだフィルターが熱を持ち始めてはっとして、もう一度吸って消して、また新しい一本を取り出す。そうやって何本か連続して吸っている間に、ささくれた心が静まるのを待った。  大体、あんな記事を書かれるなんて無防備なのではないか。弘人が浮気するなど思ってもいないが、その迂闊さにはいっそ脱帽する。祭りでの一件もそうだったが、弘人は世間からの自分の注目度がどの程度なのか分かっていないのではないだろうか。  そして、記事が出回ったなら出回ったで、なぜ自分に弁解の電話一本寄越さないのか。メールでもいい、何か一言でも言ってくるのが気遣いというものではないのだろうか。仮でもなく恋人同士なのだから。  弘人の不実を疑うというよりも、弘人から何のアクションもないことの方が腹立たしかった。湊が気付いていないと思っているのか、それとも何も言わないから大丈夫だと思っているのか。まさか当人が記事が出回っていることを知らないということはないだろう、いくら何でも。  紫煙と共に溜息を吐き出す。一人で答えの出ないことをぐだぐだ考えていても仕方が無い。弘人から記事についての連絡がないなら、湊からすればいいだけの話だ。けれど、出来ればやはり、弘人自身から言ってきて欲しい。疑心とかどうとかではなくて、互いの不安要素を解消するための努力を、怠らせたくはない。  こういうことは一度許すと癖になるのだ。言わなくても分かってもらえるだとか、黙って信じてくれているだとか、そんなのは自分の怠慢から来る甘えでしかないのだから。  有耶無耶に流すことを許すわけにはいかない。  やはりこの件に関しては、弘人からきちんと言い出してくるまで待とう。  残り少なくなった煙草を灰皿に押し付けて、答えを出した湊は束の間の物思いを切り上げた。  だがそれから。 『これから実際に大正時代にできた村に、撮影許可を取りに行ってきます。先に交渉しといてよって思わない? 俺は思うね!』  そんなメールを最後に、記事の弁解どころか、今まであった通常の連絡すらも一切入らなくなったのだった。

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