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第44話

 彼女は一人、まろぶように暗くなった道を走っていた。  緩くカーブを描いた髪が、焦りを移したようにでたらめな放物を描いて尾を引いていく。綺麗に化粧を施していた顔は汗に塗れて、普段の彼女ならばそんな姿を晒すなど許せるはずもない。  だが、今はもうどうでも良かった。  華奢な靴の踵が硬い石畳を打って、静かな村の中に大きく響いた。その音にびくりと足を止め、靴を脱ぐ。道から外れた植え込みの中にそれを隠し、羽織った上着の膨らんだポケットを押さえて、彼女は再び走り出した。  ストッキングだけで硬い地面を蹴る足が痛い。空気を荒く取り込む肺が痛い。  けれど、自分の痛みにかまけている余裕はなかった。  ――――こんな話は、聞いていない。  ある場所を目指してひたすら駆けながら、彼女は幾度も胸の中で叫ぶ。  故郷の村に戻って来ることが決まった時、里心が付いて連絡したのが間違いだったのだ。その時につい、今回のドラマの相手役となる人のことを話してしまった。  だって、初めて彼を見た時、彼女も今の村人たち同様本当に驚いたから。  自身も芸能人でありながら同業者に興味が無く、雑誌やテレビもほとんど見ない彼女は、ドラマの話が来た段階では相手役の男の顔を良く知らなかった。何度か局ですれ違ったことはあったが、人見知りの気があってじっくりと人を見られない性質で、その顔をしっかりと見る機会などなかったのだ。  今回の撮影が始まる前の顔合わせでようやく彼の顔を間近で確認した彼女は衝撃を受けた。なぜならば彼は、彼女が生まれ育った土地で現人神にも等しい扱いで奉られている人物に、非常に良く似ていたから。  血縁の可能性を思いつく前に興奮した状態で連絡をしてしまったことを、何度も何度も後悔した。苗字が違ったって、あんなに似ているのに、何の関係もないはずがないのに、どうしてそこに思い至れなかったのか。顔立ちは似通った部分がある程度だが、何よりもその雰囲気が写真でしか知らない奉り人に酷似していたのに、なぜ気が付かなかったのか。  気が付いていたら絶対に連絡などしなかった。村で撮影を行う間だって、出来る限り村人や家族を近寄らせないように尽力だってしただろう。もしも彼らが彼のことに気付いてしまったら、こうなるということだって思い付けただろうから。  しかし、彼女は気付かずに彼のことを話してしまった。その結果、彼女に割り振られたのは彼を油断させて誘き出す役目で。自分の祖父の、会って話をしたいだけという言葉を信じてしまった自分を呪わずにはいられない。  ストッキングが伝線した。裂けていく繊維の感触が脚を伝う。恐らく足裏はもうぼろぼろだろう。痛みというより腫れ上がるような熱しか感じなくなった。  それでも足を止めるわけにはいかなかった。  この村において何の力も持たない自分が駆けつけたところで、何ができるかは分からない。けれど、自分の家族が彼を捕らえていることを知っているのは、自分だけだ。  彼の意思で閉じ篭もっているわけではない、それを彼女は知っている。  人の意思を巧みに入れ替える方法をこの村が持っていることを、彼女は知っているから。  彼が現場に現れなくなって一週間、散々迷った。故郷と家族を裏切る勇気を振り絞るための期間でもあったし、身内を信じたい気持ちと闘った期間でもあった。  けれどもう限界だ。これ以上放っておいたら、彼も家族もこの村も、取り返しの付かないところまで落ちてしまう。  だから彼女は夜に紛れて走り出した。間もなく村に到着するであろう彼の兄に、どうにかして彼を返すために。

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