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第49話

 ――――老人は一人、古ぼけたレースの切れ端と対峙していた。  厳格に結ばれた唇は横一文字に彫られたようで、内面の厳しさを滲ませている。顔に刻まれた年輪は深く、微動だにせず座している姿は古木のようだ。  彼に与えられた役割はたった一つだった。誰かの夫でも、誰かの父でも、誰かの祖父でもない。ただ一つ、村の長、それだけが彼に与えられた役割だった。  妻も子も孫も、いないわけではない。ただ彼が選び取ったものが家庭人としての己ではなかっただけの話だ。  村で奉っている人物と直接関わった者は、彼を置いて皆彼岸へ逝ってしまった。  残された最後の一人として与えられた役割を全うするために、老人には自らこの村に飛び込んできた『彼』を手中に収める責務があった。  村は、衰退の一途を辿っていた。  元々が隠れ里として創られた村は、当時から自給自足の生活だった。それでもまだ昔は良かった。働き手が多かったのだ。畑を耕して、山を切り拓いて、故国から持ち込んだ技術と知恵で独自の民芸品を産み出し、より日本人に近い見た目の者を里に下ろして商わせた。そうやって細々とだが村人全員が飢えることなく生きていける環境があった。  だが今は、残っているのは年寄りばかりだ。若い者は時代に適応して次々と山を下り、帰って来ない。田畑を耕す者も、木を伐る者も、伝統技術を受け継ぐ者もいない。  そうして廃れていく一方なのに、この村でしか生きられないと思い込んでいる年寄りたちは、この狭い世界から出ることを酷く恐れる。  この村は、戦時中に迫害を受けた者たちの集まりで出来た。  間の子、鬼の子。呼ばれ方はいくらでもあった。それらは全て蔑みに満ちて、止まることを知らない悪意と共に彼らの体と心を傷つけ続けた。  敵対する国同士の血を半分ずつ持つ彼らは、どちらの国へ帰ることも許されない半端者として扱われた。戦争が激化する前に日本を脱せた者たちは幸運だった。  そうすることもできず、弱者同士で寄り集まってただ身を縮こまらせていた彼らの前に現れたのが、この村の奉り人、橘篤仁その人だったのだ。  節くれ立った指先で、対峙していたレース生地を慎重に取り上げる。  橘がテーブルクロスか書棚掛けを作ろうとして、結局根気が足りずに放り出した生地を貰って、こうやって後生大事に持ち続けてもう半世紀以上が経った。  この村の創建者である橘と老人が触れ合ったのは、幼少の頃が一番多かった。だからだろうか、彼にとっての橘という人は、今の村人たちのようにただの崇拝の対象だけに留まらない。  兄とも父とも慕った人だった。虐げられた記憶しかない日本国の人の中で、唯一彼に温かい記憶をくれた人だった。  四十にも満たない年齢で亡くなるまで、彼は時折ここを訪れては村人たちと酒を酌み交わし語らった。村の子どもたちに、我が子のような慈しみを以て様々な事柄を教えてくれた。  遥か昔の老人もそんな中の一人で、橘はよく、少年から青年へと成長していく姿を逞しげに見上げて、次代の村長となる予定の彼に色々と言い聞かせたものだ。  今の自分が、その意に沿わない人間であることは重々承知している。橘の教えを守るどころか、彼の曾孫を意のままにして、彼の代わりに祀り上げようとしているのだから。  歳を経た人間の頑固さは凄まじい。長であっても、この土地にしがみ付く年寄りたちの意思を翻すことは容易ではない。このままではただここで死に逝くだけだというのに、臆病に凝り固まった者たちは耳を貸そうともしない。  小さな世界なのだ。ここで生きて死んで逝くのも、それを選ぶのならばそれはそれでいいだろう。  だが、自分たちに死に場所を与えるために橘はこの村を創ったのだろうかと考えた時、どうしても、このままこの土地で死に絶えることを受け入れられなかった。  なぜならば、彼は、様々な生き抜く方法を彼らに教えてくれたのだから。大人には知識を、子どもには自由な発想を。どんな時代がやってきても、生きていく方法を自分たちで模索できるように、もう二度と縮こまって生きることのないように、外へ羽ばたく力を蓄えるための知恵を搾り出す方法を、教えてくれたのだ。  そんな彼が、この小さな村が人知れず死に絶えることを望むだろうか。半世紀以上もの間培ってきた生きる術を埋もれさせて無駄にすることを望むだろうか。  何度考えても、何度問うても、老人の中でいつも答えは同じだった。  村が生き残る唯一の道への障害は、身の内にある。外に脅える人々の恐怖心を払拭し、彼らの目を外へ向けさせるには、村長では足らない。  だが、創建者の血縁の言葉ならどうだろう。大人しく死を待つだけのつもりでいる彼らでも心を動かすかもしれない。  そんな一縷の望みのために、老人は人生の最後を賭けたのだった。

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