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第50話
弘人の荷物から取り出した本は、あの盆休みで発見した曽祖父の同人誌だった。
「このページを見てください。これを見つけた時はただの落書きかと思ったんですが、これはこの村の縮図じゃありませんか?」
湊が広げて見せた冊子を取り囲んだ面々が、テーブルの地図とそれを見比べて確かにと頷く。
村の主要施設を描いたらしいくねくねと曲がった線の集合地帯があり、その間を太い筆でざっくり引いた線は恐らく畦道や道路のつもりなのだろう。丸々紙一枚分のスペースを使って村の縮図を描き、達筆すぎて所々読めない文章で埋められた紙の端々には、よくよく見ればレンガ造りの家だったり野良仕事をする村人のような豆粒だったりが描かれている。
はっきり言って下手くそな絵だった。これが意味のある絵だと初見では気付かなかったくらい、何かが致命的に足りない絵だった。
流麗な文字との余りのギャップに、曾孫としてこれを人様の目に晒すのは些か恥ずかしかった。曽祖父も曽祖父だ。フォローできないくらいに酷い絵心を、何もわざわざ仲間との共同創作物で発揮しなくてもいいだろうに。
そっと四人の表情を窺い見たら、皆が皆真剣な顔を崩さないよう必死なのが見て取れた。
気持ちは非常によく分かる。だって本当に酷いのだ。犬の耳っぽい何かが頭部から生えた四足の動物が、なぜか二足歩行していたりするのだ。しかも片足が宙に浮いている。なぜ描いた。
「これは曽祖父が、仲間と書いた同人誌のようなんですが……たぶん、村を創った際に色々と融通を利かせてもらった仲間なんでしょう。隠れ里のはずなのに、村に関する記述が多いんです」
ぱらぱらとページを捲っていく。綴り紐が劣化して解けそうになっているのが気になるが、結い直したら千切れそうだ。撮影の待ち時間を使って読んでみると弘人が持って行った本だが、彼はこれをきちんと読めたのだろうか。
もう一度縮図のページを開いて、地図の横に並べて置いた。曽祖父の絵の出来不出来は置いておいて、こうして見ると縮図に描かれた建物の特徴や位置取りは完璧だった。
その中で、地図にはないが縮図にはある、やけに太い線が村長宅に向かって伸びているのに注目する。
それを指し示して南方にこの道を知っているかと問うたら、彼女は首を横に振った。
「たぶんそれは防空壕だと思います。入り口は今は立ち入り禁止になっているから、わたしは入ったことはありません」
だからそれが村長宅、彼女にしてみれば実家だが、そこに続いているとは知らなかった。
「立ち入り禁止とは言っても、防空壕として造られたものなら危険はありませんよね」
「ガスや危ない獣が入り込んでるようなことは聞いたことがないです。もしそういう危険があったら、繋がってるわたしの実家に真っ先に被害が出ているはずですから」
一つ頷いて、湊はまた四人を見渡した。
弘人の状況がはっきりした時から、考えていた事がある。
「村長を説得に行きます」
四人が眼を見交わす。湊がそう言い出すだろうことは予想していた。
承諾と謝罪を込めて、日野が頭を下げた。
「正面から行って、弘人をどうにかされたり他の場所に隠されたりしたらどうにも出来なくなるので、この防空壕を使って行ってきます。皆さんには、私が入った後の入り口の警護と、村長の家周辺の見回りをお願いしたい」
「分かりました。手分けしましょう」
「それから万が一の場合は、警察を呼びます。その場合は南方さんが非常に辛い立場に立たされるかと思いますが……御了承ください」
「はい、構いません、呼んでください。覚悟は出来てます」
気丈に顔を上げた彼女を見つめる。
しんと静かな眼差しを受けて、南方は居住まいを正した。
「本来なら、事が明らかになった時点で警察を呼ばれて当然だったんです。それをここまで抑えていただいてるんですから、この後はどうぞ、湊さんの思うようになさって下さい」
自然と手を付いて下げかけた頭を押し戻され、南方はぐっと唇を噛んだ。
どうしても弱くなる立場と、崇拝対象に良く似た彼への気持ちが混ざり合ってつい容易く跪きそうになる。度々混乱する自分を湊はこうして押し止めてくれるが、きっとその度に嫌な思いをさせてしまっているだろう。
彼は、あの人ではないのだから。何度も言い聞かせているのに、体が勝手に服従したがる。
無意識下で起こる現象ばかりは本人にもどうにもできない。分かっているから、湊も黙って受け入れることと受け入れられないことを分けているだけなのだが、生真面目に瞳を揺らす彼女はまだそれに気付けない。
その件については彼女の中の問題で、湊がどう言おうと今はどうにもならない。だからそれよりもと、揺れる彼女の瞳を覗き込んだ。
この村に来てから実はずっと気になっていた事がある。
「ところで、南方さん。少し訊きたいことがあるんですが」
「あ、はい、何でしょうか」
「あそこのタペストリーや食堂の漆器類、それにこの建物、全てこの村の人が?」
突然湊の興味が村自体に移ったことに戸惑いながらも、南方はこくりと頷いた。
もう次代の担い手はほとんどいなくなってしまったが、この村が誇る伝統技術は小さな物から大きな物まで村中に刻まれている。
「この村の物は全て手作りです。若い人たちは皆いなくなってしまったので、継承はされないでしょうが……」
「うん、勿体無いですね」
「え……?」
腕を組んで何がしか考え込んだ湊が、これまでの顔とはまた違う顔を覗かせた。
表情を緩めて立ち上がり、広間に設えられたテーブルや椅子、壁に掛けられているタペストリーやレトロなランプ、火のない暖炉、その上に飾られた小物、それらを一つひとつ愛おしい物を見るように確かめていく。
切迫した状況を束の間忘れたかのような様子に戸惑いつつも、四人は黙って彼を見守った。
何だかその周りを気にしないマイペースな動きは彼らに弘人を連想させる。やはり兄弟なのだと変な所で納得されているとは知る由もなく、湊は鑑定士のようにどこからともなく取り出した白い手袋を着用して広間中をうろうろした。
時折掘り出し物と思しき物体を持ち上げては矯めつ眇めつ見て、子どものように瞳を輝かせている。
暢気は暢気だが、彼のマイペースさに高まりすぎていた緊張感が程よく解れ、顔色の悪かった四人はやっと互いの表情を確認し、それぞれがほっと肩の力を抜いた。
「……よし。では決行は夜明け前、皆が寝入っているところに忍び込みますので、皆さん、仮眠を取ってきてください」
一通り見て回って満足したらしい湊の号令に、彼らは綺麗に揃った返事を返す。
明日には事態は急展開を迎えている、そんな確信が誰の胸にも宿っていた。
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