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第51話
眠る前にあれこれ考えすぎたせいか妙な時間に目覚めた老人は、便所に立ったついでに捕らえ人の様子を見に行った。
暗い廊下を延々歩いた先にある座敷牢は、元々は極度に外を恐れた末に狂ってしまった身内を生かすために作った部屋だ。そのため、風呂も便所も生活に必要な最低限の物は揃っている。
捕らえた彼の人の曾孫には、必要以上に不自由な思いをさせるつもりはなかった。恩人の血縁に無体を強いるのも、仕方のない範囲で止めているつもりだ。
……鎖だけでなく、薬でもその意思を縛っていたとしても。
橘の姓を受け継がなかった青年は、しかし橘に酷似した雰囲気を持っていた。初めて彼を見た時には、橘が別の肉体を手に入れて戻ってきてくれたのかと思ったほどだ。
その彼は今、隅の布団で丸まって眠っている。深い呼吸は穏やかなようで、無意識に詰めていた息をほ、と吐き出した。
こんなことをして、許されるわけがないのは分かっている。薬の効果が切れて彼が全てを思い出した時、どんな眼を向けられるかなど考えたくもない。
できればやはり、橘の面影を遺す者には嫌われたくはないのが本音だった。それは虫の良すぎる感傷に過ぎないのだが。
そんな風に思いつつも彼を利用しようとする自分の愚かさ、醜さには反吐が出る。だがそうした思いを味わってでも、老人には守らねばならないものがあった。
彼が何事もなく眠っていることを確認して一時の安心を得た彼は、重い足取りで自室へ向かう。
自分の孫とそう変わらぬ年頃の若者を、自分たちのような先の短い老いぼれのためにこんな所で足止めしていいわけがないのに、感情は理性を容易く裏切ってくれた。
彼を捕らえた時に浮かんだ思いは、彼への謝意や自責ではなく、ただひたすらの安堵だった。
これで村の未来が守られる。これで橘が傾けてくれた心に背かずに済む。これでやっと、村人と橘に与えられた役割を全うできる――そんな計り知れない安堵だった。
しかしすんなりと協力しようとしない青年に業を煮やし、取った手段が我ながら乱暴すぎて、日に日に従順になっていく彼の様子に却って心に影が差してきたところだ。
こんなところまできて迷うくらいなら端から始めなければよかったのだ。だがもう手をつけてしまった。もう、今更引き返すことはできない。
捕らえた青年の、まだ正気だった頃の眼差しを、最近は頓に思い出す。橘と良く似たその眼差しを。
脳裏にちらつくそれに責められている気がするのは自分の心が脆弱だからだ。一度悪役に身を堕としたのならば、最後までそれらしくあらねばならない。
いつの間にか辿り着いていた自室の扉を前に、立ち止まって考え込んでいたことに気付いた老人は、一つ首を振って余計な物思いを弾き飛ばした。
そうして扉に手を掛ける。
彼以外立ち入らない室内に、別の人間が忽然と現れているなど、思いもせずに。
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