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第33話 僕の望み

先生は、目を伏せて膝に置いた自分の手を強く握りしめた。 「残暑の厳しい日だったと思う。その日は、先輩が急用で行けないから俺が一人で行くように言われたんだ。尋ねると光さんが一人で家にいた。いつもは玄関先で少し会話してすぐ帰るけど、俺が汗だくで赤い顔をしてたのを可哀想に思ったのか、お茶を入れてくる、と言って中に入っていった…」 「俺はほぼ無意識にふらふらと光さんの後に付いていって……驚く光さんを押し倒した……」 「俺は泣いて嫌がる光さんを犯したんだ…」 「事が終わった後、俺は怖くなって逃げ出した」 先生が僕の方を向いて歪んだ表情を見せた。 「最低だろ?自分の勝手で好きな人を苦しめたんだ」 僕は黙って先生を見つめる。 そう、先生は最低だ。だって僕にも同じ事をしたじゃないか。でもそれは、まだ母さんの事を思ってたから?母さんを諦められてなかったから? 「でも、俺のした事は想像以上に彼女を傷付けてた……。逃げ出して、街をふらふらしてたら先輩から電話が来た。声が慌ててた。光さんの所に行ったのかと聞かれて、俺は行ってないと答えた…。怖かったんだ…」 「そうしたら先輩が……彼女が死んでると…。燈の父親も一緒に死んでるって…言ったんだ……」 僕の心臓がドクンっと大きく跳ねる。 あの日だ…夏休みが明けて、学校が始まった……。 「後で二人共、自殺だったと聞いた。俺が襲ったから…きっと彼女は自殺したんだ…。父親は彼女を追ったんだろう…。本当にすまない…」 先生のせいなの?ずいぶん前から母さんは少しずつおかしくなってた。でも死ぬきっかけを作ったのは、先生だったの? 頭の中をぐるぐると疑問が浮かぶけど、僕の目にはあの日の、あの時の、忘れていたはずの光景が、ゆっくりと浮かんできた。 ーー夏休みが明けて、学校から帰ってくると。

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