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第二章(①)

「それで。カトウ軍曹の様子はどうだい?」  カトウが「日米共同戦史編纂準備室」、通称「U機関(ユニット・ユー)」に着任して十日が経過したその日、「U機関」の長クリアウォーター少佐は、ニイガタ少尉を三階の執務室に呼びだした。  問われたニイガタの表情は、たちまち苦いものになった。 「カトウ軍曹が、業務をこなそうと真面目に努力していることは認めます。それでも、翻訳作業の速さと正確さでは、ほかの二人と大きな差があると言わざるを得ません」  なるほど。翻訳能力の評価に関するかぎり、民生局(GS)の評価はおおよそ妥当だったようだ。残念ながら。 「ですが、ご安心ください」  ニイガタは背筋を伸ばし、胸を張った。 「半年、小官に時間を与えていただければ、徹底的に叩き直してやります」  力強い台詞に、クリアウォーターは苦笑いを浮かべた。ニイガタは熱意もやる気も十分な男だが、時々その向かう方向がおかしくなる。ニイガタに半年もどやしつけられるとなれば、さすがにカトウが気の毒だ。ここいらで、軌道修正が必要であった。  クリアウォーターは「ふむ」と指を組んだ。 「つまるところ、カトウ軍曹の問題点はどのあたりにあるんだい?」 「帰米(キベイ)だけあって、日本語の理解能力は非常に高いです。おそらくササキ軍曹や小官より上で、アイダ准尉と互角に勝負ができます」 「そいつは、すごいじゃないか」 「ですが、アイダと違って英作文の能力がお粗末すぎる。幼少時を日本で暮らし、英語を基礎から学ぶ機会がなかった帰米の典型です」  そう言うニイガタ自身も、十歳から十二歳を日本で過ごした帰米だ。しかし滞在年数が三年と短く、その前後にずっとアメリカで教育を受けたため、彼自身の母語は英語だった。  クリアウォーターは口元をゆるめた。 「ニイガタ。君は大戦中、フィリピンと沖縄で語学兵として戦っていたね」 「はい。その通りです」 「私の記憶が正しければ、君は確かほかの日系二世(ニセイ)と十人ほどでひとつの(チーム)を結成して、派遣されていたはずだ」  語学兵が班を結成する場合、リーダーは陸軍の語学学校を卒業した白人尉官が任命されるのが常だ。しかしたいていの場合、日本語の理解力は日系二世、特に帰米の方が高いのが常である。ニイガタの班も例外ではなく、実際に任務を取りしきり、統括していたのは、班内最年長のニイガタだった。  情報の価値は、経過した時間と反比例する。言い換えれば、得た情報は早く活用できればできるほどいい。そのため大戦中、アメリカ軍は多くの日系二世の語学兵を最前線へ送り、遺棄された日本軍の作戦案や陣中日誌、さらに個人の日記などを回収して現地で翻訳させた。日本人捕虜への尋問も同様で、まず現地で行われたのである。  日本軍は「日本語はそれ自体が難解で、アメリカ人にとっては暗号のようなものだ」と考えていたため、前線からの情報漏洩に関しては、ほとんど考慮していなかった。ところが、実際には大勢の日系アメリカ人が身につけた日本語能力を生かして、貴重な情報を味方の軍に不断に送り続けていた。情報戦において、アメリカ軍は完全に日本軍の上を行っていたのである。  参謀第二部(G2)のW将軍は日系語学兵の貢献を絶賛し、こう評した。 「日系語学兵たちは、戦争の終結を二年早めた」と。  その意見に、クリアウォーターも全面的に賛成する立場であった。  

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