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第一章(⑫)

 そして、約九ヶ月後。  陸軍情報語学校の課程を終えたカトウは、めでたく日本の土を踏み、現在、新宿で日系二世(ニセイ)の同僚たちと、夕食の席を囲っているというわけである。  歓迎会は九時前にお開きとなった。アイダがトイレに行き、ニイガタが会計を済ます間、カトウとササキは先に店を出た。通りは、ちらほら灯りがあるが、全体を照らすには程遠い。  カトウがササキと並んで立っていると、その暗がりの中から女が一人、近づいてきた。 「ねえ、GIのお兄さん。ヒマなら、遊んでいかない?」  甘ったるい猫撫で声で、若い女はカトウたちに話しかけた。ウェーブのかかった髪が肩に垂れている。派手な化粧に、どぎついほど真っ赤なワンピース。街娼――パンパンだった。 「すまんのぉ。金、持ってないんじゃ」  ササキが訛りのきつい日本語で、律儀に答える。  パンパンの女は抜け目なく目を光らせた。 「あら、心配しないで。安くしとくわよ」  ちょうどその時、店の扉が開いて、アイダが出てきた。アイダと目が合って、女の笑みが強ばる。カトウが振り向くと、アイダの方も冷ややかな目で女を見ていた。 「帰るぞ、二人とも」 「あれぇ。ニイガタ少尉は?」  ササキの間のびした声に、アイダが答える。 「少尉は支払いを済ませた後、裏口から帰ったよ。そちらの方が、帰りの市電の駅に近いんでね」  それからくるりと背を向けると、右足を軽く引きずって歩き出した。なおも女に未練を見せるササキを無理やりうながし、カトウはアイダのあとに続く。しばらく行ったところで、そっと後ろをうかがうと、女はまだそこにいた。こちらをにらんでいる。恐ろしく、きつい目つきだ。その視線は、カトウか――あるいは、その前方を行くアイダの背中に突き刺さっていた。  翌日早朝、都内某所の神社。  その男を最初に発見したのは、近所に住む豆腐屋の青年だった。  初めは酔っぱらいが寝ていると思った、と彼は後に証言している。というのも、倒れていたその男は比較的仕立てのいいコートを着ていたし、そばに帽子も落ちていたからだ。親切な青年は、男がスリにでもあっては気の毒だと思い、起こしてやろうと近づいた。  そして、あと数歩という所で初めて異変に気づいた。男の身体の下に、赤黒い水たまりができている。さらに目が飛び出さんばかりに見開かれ、肌は蝋のように青ざめていた。  仰天した青年は、そのまま走って警官のいる駐在所へ駆け込んだ。 ――都内神社で刺殺体。被害者の身元、捜査中ーー。  新聞に小さく見出しが出ただけで、事件はすぐに世間から忘れ去られた。この殺人事件が後に占領軍を震撼させる一大謀略事件の発端となるとは、この時、誰も知る由もなかった。

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